2016年12月31日土曜日

2016年 読んだ本ベスト6 and 全本

さてさて、久々のブログ更新でごさいます。
夏に引越しして以来、ブログの習慣が崩れてしまって長らくご無沙汰しておりました。

今年ももう終わりという事なんで、これだけはやって置かねば気持ち悪いという事で、毎年やっている今年読んだベストand(ほぼ)全本を晒します。

※ 家のPCがぶっ壊れたので、オールテキストでお送りします。

【2016ベスト5】
1.『源氏物語1~6』紫式部 / 大塚ひかり訳
2.『うつくしく、やさしく、おろかなり』杉浦日向子
3.『闇の女たち』松沢呉一
    4.『叙情と闘争』堤清二
    5.『君の言い訳は最高の芸術』最果タヒ
    6.『人工知能は人間を超えるか』松尾豊

    今年は振り返るとタイムスリップを繰り返す読書だった。

    1位の源氏で平安時代にどっぷり浸かり、2位の杉浦日向子では江戸時代の粋と儚さを見て、

    3位の『闇の女たち』は戦後から現代の入り口にかけてパンパン達が生きた路地裏の御伽噺のような物語を聞いた。

    4位の堤清二は戦後から80年代のセゾン帝国を気付くまでの著名人との交友を交えたビジネス史・文学史が叙情詩のように語られた。

    そこから当代きっての詩人、最果タヒちゃんのブログの文章に酔い(5位のエッセイは初出がブログ)、6位の人工知能の話で未来に想いを馳せた。

    なんか、上手いこと流れるような順位付けになったけど、過去の時代に行くほど順位が上がるというのが何とも時代錯誤的な性格を表している気がするな。


    さて、かなり時間をかけて読んだ源氏物語が今年第1位なので、これは少し詳しく書く。

    大塚ひかり訳の素晴らしい所は、表現があけすけで現代的なところと、文章中に細かく "ひかりナビ"という解説が挟まっているところ。これがあるから通読出来たと言っても過言ではない。

    源氏物語の何が優れているのか、今読んでいる文章をどう解釈すればいいのか、全体の物語の流れがどう向かっているのかという事が逐一解説されていて、どんどん読み進める事が出来た。

    読後の感想は一言では言い表しがたいが、自分の中に源氏物語という時空間が一つ出来た事は喜びだと思う。多分、今後歳を取るに連れて何度か訪れる時空間になると思う。

    『古典』と言われるものが持つ力の一つである、読んだ労力に見合う見返りがあるというのが体感できた読書体験だった。



      以下、全本。上半期に読んだ本が異常に少ないんだけど、記録にも記憶にも残ってないので判るものだけ。

      【小説】
      『源氏物語1〜6』紫式部 / 大塚ひかり訳
      『LAヴァイス』トマス・ピンチョン
      『枯木灘』中上健次
      『コンビニ人間』村田沙耶香
      『異類婚姻譚』本谷有希子
      『哀愁の町に霧が降るのだ 上下』椎名誠

      【詩集、詩人の本】
      『死んでしまう系の僕らに』最果タヒ
      『モールス歌詞集』酒井泰明
      『小さなユリと』黒田三郎
      『君の言い訳は最高の芸術』最果タヒ
      『我が詩的自伝』吉増剛造

      【エッセー】
      『うつくしく、やさしく、おろかなり』杉浦日向子
      『その日ぐらし』高橋克行・杉浦日向子
      『江戸へようこそ』杉浦日向子
      『 「松本」の「遺書」』松本人志
      『うわさと俗信』常光徹

      【ノンフィクション】
      『闇の女たち』松沢呉一
      『さいはて紀行』金原みわ
      『圏外編集者』都築響平
      『「ない仕事」の作り方』みうらじゅん
      『セックス障害者たち』バクシーシ山下
      『AV女優の社会学』鈴木涼美
      『性風俗のいびつな現場』坂爪真吾
      『最貧困女子』鈴木大介
      『最貧困シングルマザー』鈴木大介
      『小説家という職業』森博嗣
      『作家の収支』森博嗣
      『植田正治 私の写真作法』植田正治
      『アートの入り口 アメリカ編』河内タカ
      『これからのエリック・ホッファーのために』荒木優太
      『人工知能は人間を超えるか』松尾豊
      『叙情と闘争』堤清二
      『バブル 日本迷走の原点』永野健二
      『1980年代』斎藤美奈子・成田龍一
      『東京β』速水健朗
      『23区格差』池田利通
      『隠れ貧困』荻原博子
      『ショッピングモールから考える』東浩紀・大山顕
      『都市と消費とディズニーの夢』速水健朗
      『ウォルト・ディズニー伝記』
      『団地の見究』大山顕
      『1989年のテレビっ子』戸部田誠
      『絶望読書』頭木弘樹
      『食客風雲録(日本編)』草森紳一
      『閑な読書人』萩原魚雷
      『談志まくらコレクション 夜明けを待つべし』立川談志・和田尚久

      【引越し】
      『ぼくの住まい論』内田樹
      『家賃を2割下げる方法』日向咲嗣
      『家を借りたくなったら』長谷川高
      『間取りの方程式』飯塚豊
      『千葉の怖い話』牛抱せん夏

      【ビジネス】
      『君はどこへでもいける』堀江貴文
      『嫌われる勇気』古賀史健・岸見一郎
      『疲れない脳を作る生活習慣』石川善樹
      『働く君に伝えたい「お金」の教養』出口治明
      『新世代CEOの本棚』堀江貴文・森川亮etc
      『悩みどころと逃げどころ』ちきりん・梅原大吾
      『勝ち続ける意志力』梅原大吾
      『自分を変える習慣力』三浦将
      『田舎のキャバクラ店長が息子を東大に入れた。』碇策行

      全66冊という事でまぁ、『最低限読める時間は読んでましたよ』、という感じ。
      今年は結局、映画、美術館、落語etcなどの他の文化系の催しにもほとんど行ってないので、"キープ"って感じっすね。感覚的に。

      来年はもっとガシガシっと攻めた本読み、文化系催しの行脚をしたいなと思います。

      そしてブログ、イベントもガシガシ復活したいと思います。(2016紙芝居は年明けにまた書きます!)

      それでは皆さま、良いお年を!!




      2016年7月22日金曜日

      与太:『人生に、文学を。』の件について、思うところを書いた。(追記あり)

      どうもどうも、移動図書館管理人兼紙芝居師のどいけんです。本日は書評ではなくて、絶賛炎上中の件について、思うところを書こうと思います。(心中乱れております。)

      さてさて、芥川賞直木賞が発表されたなと思った矢先に、これです。

      画像は「人生に、文学を。」特設ページのものを引用。

      文藝春秋と日本文芸振興会(芥川賞直木賞を主催)が主催で、
      「文学に親しむすばらしさを広く伝えることを目指す。」という目的と、サイトの開設を7月20日に発表したところ、巷では早速火種がバンバン上がっているようで…。

      検索かけるとこのサイトよりも炎上記事が検索結果の上に来るという、本末転倒状態。笑




      で、見てみたんですが、なんだろうよ、このサイト、正直意味が全く分かんないっす。
      炎上気味なので、最初何とか全面擁護する方法は無いかと考えましたか、無理でした。


      (アニメか?)の件は、リンク先を見てもらったり、ネットでちょっと探してもらうと色々出ているのだけど、散々話題になっているのでここでは深くは触れません。今やアニメの方が多くの人に影響を与えているのは周知の事実だしね。経済効果もケタ違いでしょ、恐らく。
      このサイトに書いてある事でアニメじゃ出来ない事なんて一個も無いと思います。


      そう、で、趣旨が全くの意味不明。考えてみたんだが意味不明過ぎて苛ついて来てしまったので思ったことを書く。

      まず、本当に文学が好きな人が、「みんな、こんなに面白いんだから読もうよ!」っつって、真剣に考えた企画とは思えない。こんなん新聞の社説みたいに誰に宛ててる言葉なのか全く判らんし、小説なんて正直、自分の名前と責任で「これが面白い、だから読め」って言い切る位じゃないと読んだことない人を読む気になんかさせらんないよ。

      本当に「文学に親しむすばらしさを広く伝えることを目指す。」つもりなのであれば、例えば『誰々が薦める、絶対読むべき小説10冊』とかリスト作って、10,000冊とかを配るのはどう?
      もっと言うと、それを全部kindleに入れて10,000台とか配る。
      そうすることで読みたい人の手元に本が届くじゃない。その方が目的に対して直接的だし、kindleとか配れば相当話題性も高いと思うんだけど。
      (まぁ、それで漫画しか読まない、みたいな人も相当する居るかもしんないけど、皆が皆、そんなにハマるわけじゃないし、ある程度は致し方無い)

      錚々たるスポンサーがいるんだから、(じゃないかも?「賛同します」としかサイトに書いてないし。いや、でもオトナの賛同ってお金出してナンボじゃないですか)文学読めって思ってるなら、スポンサーから集めた資金で本そのものを渡せよって思うんだけど。

      それに、本なりkindleなりを用意すれば、作家にも印税が入るじゃない。
      そしたら、その作家は多少お金の心配を忘れて次の作品書けるかも知れないじゃん。絶対読むべきという小説を書ける人なんだから、次回作を書くためにプラスになる事も出来たら一石二鳥でしょ。


      あとは、芥川賞直木賞の主催してるんだから、メセナ的に候補者何人かに援助して作品書かせるとかやったら、候補者の次作品が賞をとるのか、とかも含めて、芥川賞直木賞に注目が集まると思うんだよね。あとはもうそろそろ話題性のある新しい賞作っちゃうとかね。


      ただ「ティーチイン・イベントします(誰が来るかはわからないけどな)」っつって大学で参加者募って作家と文学の素晴らしさを話すだけなんてさ、間口広がるわけないでしょ。元々その作家のファンとかが行くだけに決まってるじゃん。それを新聞と文藝春秋に載せたからって本気で「広く伝わる」と思ってんのかね。
      (いや、もう、日本のメディアにこんな事言っても仕方ないってのも分かってるんだけどさ・・・)

      このままだとホント、「結局内輪ウケじゃん」「出オチで炎上しただけじゃん」「こんな程度しか考えられないオツムなら文学なんて読む必要ねぇーじゃん」って思われるのがオチだから、もう、勘弁して欲しいっす。

      あと、サイトに書いてある言葉も、全く想像力も感じられなければ文学広めたいって思いも感じられない…。
      男の落魄。女の嘘。行ったことのない街。過ぎ去った栄光。って、どんだけ古い紋切り型なんだよって。笑
      広告代理店のサラリーマンがコピーライター養成講座通りに書いたのか、もしくはどっかのお偉いさんが50年前のこと思い出して書いたのか…。
      いや、むしろAIにでも書かせたのか?にしてももうちょいマシなデータ食わせて書かせろよって思ってしまうんだけど…


      はぁ…。取り乱しておりますが、本好きですんで、何かひとごととして見れずガックリ。
      自分でも読んだ本を取り上げて紹介しているという意識もあるし、これだけ炎上してる火事場を、無視して通り過ぎることは出来ずにつらつら思いの丈を書きました。。。


      まぁ、この件で、こないだ芥川賞を取った『コンビニ人間』を紹介する気持ちが若干萎えたけど、村田さんの小説は気になっていたので、それはそれとして、折をみて紹介しようと思います。

      おしまい。


      【追記】(7/21 1:20)
      ちなみに、この文章自体を肯定する意見で面白いものを見つけたのでそれもリンクを貼っておく。

      姫呂ノート『「人生に、文学を。」がプロの仕事だと思う理由〜あるいは「広告」と「思想の自由」について』

      このブログを書いた方の意見はよく分かるし、この見方だと「何か怒ってる自分、煽られて載せられちゃてますやん」的な側面が透けて見えるようになる。けど、それでも僕個人としては煽られてなんぼだし(現にエントリーが1本増えた)、「嫌なものは嫌なんじゃい!!」という個人の嗜好、好き嫌い丸出しの(自称)内田百閒スタイルでいくつもり。


      おしまい PartⅡ。

      2016年7月8日金曜日

      書評『うわさと俗信』常光徹:元祖「都市伝説」フィールドワーカーの回想録




      シブーい装丁、タイトルのこの本。
      なんと家の近所のAEONで見つけました。

      ベストセラーや話題の小説が平積みで顔見せされている書棚の中、ポツンと、
      若者に紛れる初老の男性のような佇まいで置いてありました。

      それがたまらなく目を惹いたので手に取って奥付を見てみると何と1997年に出された本の再版。
      しかも再版の言葉も本の見開き一つほど。

      「なんで、こんなもん仕入れたんだ…」とまぁ、頭に?が浮かびまくりの状態だったんですが、とりあえず続いて目次を眺めてみる。

      後半はまぁ装丁、タイトルから予想される通り、
      「親指と霊柩車」とか「ホウキをまたぐな」みたいな俗説の話が書いてある。

      気になったのは前半。
      口裂け女、トイレの花子さん、人面犬、紫の鏡、消えた乗客、ピアスの穴から…等々。

      「いやー、懐かしいなー、この手の話」という興味に、
      「あら、このおじさんこんな一面があったのね…」AND「AEONの本屋でこんなん見つけちゃったよ」という
      二重に予想を裏切られたことで拍車がかかって買ってしまった。

      まえがきを読んでいくと著者の常光さんは学校の先生の傍らでフィールドワーク的に、
      生徒や先生から現代(当時の)の噂を聞き集めていたらしい。今は民俗学の結構お偉いさん。
      で、それがちょうど口裂け女や、トイレの花子さんだとかが噂として流れた頃で、そういう内容だったのだ。

      "学校の怪談"というと個人的にはすっごく懐かしくてたまらん。
      僕は小学生の頃、怖い話にハマっていて、そういうマンガだとか本だとかを買っては読み漁っていた。
      (母親もそういうのが好きだったので、割りと欲しい本は買ってくれた。)
      中でも、講談社KK文庫から出ていた『学校の怪談』シリーズは片っ端から読んでいた。


      買った後に知って驚きだったのは、「小学校の時に見たラインナップが結構出てるなぁ」と思って見ていたら、何を隠そう『学校の怪談』シリーズの著者が常光さんだったのだ!
      「おーいおい、全然気づかなかった先に言ってよ、そしたらもっと迷わず買ったのに」って思ったのだが、まぁ無事に手に入れたから良し。


      で、内容としてはエッセイで、うわさの内容を簡単に記しつつ、
      当時の時代状況だとか、回想だとかが入って非常にマイルド。
      まあ、民族学的な目線でフィールドワークの一環としてこういう現代のうわさ、
      今で言うところの都市伝説を集めたので、怖いという感じはない。

      こういう都市伝説が騒がれる以前の話を収集してる人ってほとんど居ないので、
      この本は興味ある僕にとっては棚ボタ的な非常に良著だった。

      で、中身を読むと、回想的な内容に引きづられて結構色々思いを馳せちゃう。

      例えば、口裂け女とかって1979年(昭和54年)に話題がガツッと出たらしい。

      これって時期としては、高度経済成長期も一段落して、郊外に大型団地とかがガンガン建って、
      これからバブル、受験戦争最盛期に向かう時期。

      昔ながらの地域のコミュニティが崩壊して、新しいコミュニティが生まれ、
      多くの核家族(これも新しく増えた家族形態)の人たちは、新しい人間関係を構築しないといけない。

      更に、高度経済成長でモーレツに生活向上だけ求めていくフェーズが一旦終わり、次の波が来はじめている。

      そういう中での不安が色々と合わさった時期に得体のしれない怖い存在の象徴のように口裂け女が出てきてメディアで騒がれたってのは、結構時代背景から見ても面白いなぁとか思った。


      あともう一個、面白いなと思ったのが、主に俗信についての話で、
      例えば「夜爪を切ると親の死に目に会えない」とか「霊柩車を見たら親指隠す」とかある。
      で、それに大して常光さんは本書の中で、
      「現代の子供たちも、こういう俗信をその由来は分からなくとも無意識に信じて避けていたりする。
      時代は変わってもそういう俗信が残るもんだなぁ」とかって言ってる。

      これ、もういま通用しないと思う。

      この本が書かれた1990年代に小学生だった子どもたち(僕とかもまさにそう)にとっては、
      まだこういう迷信って結構身近にあったのが実感としてわかるけど、
      もう今の子供達とかもう全然そんなの実感として無いんじゃないかなって思う。

      再版されるまでの20年という月日のギャップが感じられるところで、
      また別の楽しみ方として面白かった。


      なんか今回は自分の好きな通りおしゃべりしただけ、みたいな内容になってしまった。。。
      とはいえ、これから夏真っ盛りですので、この『うわさと俗信』だったり『学校の怪談』、
      暑くて眠れない夜のお伴にいかがでしょうか。

      ちなみに『学校の怪談』シリーズは個人的に2〜4が一番油のってて面白いと思う。
      結構ほんとに怖いのもある。(しかもKindle版出てるし、、、買お。)


      おしまい。


      P. S. ちなみになんでこの本がうちの近所AEONに平積みされていたかは、分からずじまいだった。

      「もしや常光さん南砂の学校で教えてたの?」って思って調べたけど、
      教鞭を執っていたのは普通に練馬区と文京区だったし。(我ながら、よう調べたな・・・)

      でも郊外のスーパーの本屋とかって、こういうワケ分かんないチョイスたまにあるよね、とも思うし、結構そういうの見つけるのが面白かったりして個人的にも好きだったりするのでアレなんだが・・・

      2016年7月6日水曜日

      書評『人工知能は人間を超えるか』松尾豊:"電気羊の夢"の前に、人工知能の夢と現実を。

      最近、FinTechとかIoTと同様、Deep Learning(以下「ディープラーニング」)ってよく聞くようになったなぁと思ってた。
      それとは別口で、よく本屋に平積みで人工知能関連の本があるなぁとも思ってた。
      それとはまた別の文脈で、機械学習ってなんじゃらというのも気になってた。

      で、機械学習の事を調べていくとどうやらその辺り、同じ界隈の話をしているらしい。
      (無知なんで、ディープラーニングとか機械学習とか人工知能とかって繋がってなかったんですよ…恥)

      そうかそうかと合点で、「なんかその辺の入門に丁度いいやつないかしらね、おお、あの平積みになってたやつ、分かりそうな感じやんけ」と思って手にしたのが本書。
      Kindle版が割引で安かったので、Kindle版をGetしました。
      (875円になってて更に175ポイント還元されるので実質700円、紙の本の約半額という。。。いつまで安いかは不明。画像からAmazonに飛べます。)



      人工知能を知らない人にも分かるよう、その歴史、現在の状況、そして展望を第一線の研究者である松尾豊さんがまとめたのが本書。
      ちなみに女の子の絵はポップさ醸し出してるけど中身は真面目。女の子関係ない。

      内容のベースとなったのが、経済産業省の西山審議官(当時)から「素人にも分かるように人工知能の説明をしてほしい」と言われて作成したプレゼンテーションなので、専門的な事を全然知らん僕にもとても分かりやすかった。

      構成は大きく3つ、
      ・人口知能について、今どういう研究がされているか、それを踏まえて本書をどう読んだら良いかのイントロダクション
      ・人工知能の黎明期(第一次ブーム)から、第二次ブーム、そして第三次ブームとしての現在までの歴史と人工知能の説明
      ・今後の展望と、僕らの暮らしはどうなるのか、そして、人工知能は人間を超えるのか、の著者の意見とまとめ
      に分かれている。構成も明快なんです。

      で、ここではその中からピックアップして、人工知能自体の説明、人工知能の発展、についてそれぞれ印象に残ったことを紹介します。


      1. 人工知能自体の説明

      人口知能が出来ることのレベルを「アルバイト・一般社員・課長・マネージャー」という比喩で表現していてそれが超分かりやすい。
      ちょうど各レベルが各ブームの人口知能で出来るようになったことに該当していて、歴史的な進歩も感覚的に概観がわかるのでそれぞれ紹介します。

      【アルバイト】厳格なルールを管理者が決めて、その通りに単純作業する。荷物の縦横高さだけで大中小を判断して動くバイト君、のニュアンス。
      該当するのは、家電等にみられる半ばマーケティング的な狙いも込めて「人工知能」と謳っているもの。学術的には人工知能というより単なる制御プログラム。

      【一般社員】同じく縦横高さ重さ等で仕分けるように支持されているが、荷物の種類に応じて沢山の知識がインプットされており、その通りに作業できる。(例:天地無用は上下逆にしない、割れ物注意は丁寧に扱う)
      これが第一次ブーム(知識量次第で第二次ブーム)で研究された探索・推論などに該当。

      【課長】幾つかのサンプルと正解(「この大きさは大だよ」、とか)が与えられてそこからルールを学んだら次からは自分で「これは大」「これは中」とか判断する。
      第三次ブームの嚆矢となった機械学習がこれに該当。

      【マネージャー】幾つかのサンプルから特徴を見出して自分でルールを規定し、判断。「これは大だけど細長いから別に分けよう」とか自分で決める。
      現在騒がれているディープラーニングはこれに該当。

      どうです?すげぇ分かりやすくない?この説明ほんとに分かりやすいなと思ってちょっと感動したよ。
      まあ、素人にも分かるようにものすごく簡略化した説明だとは思いますが、スッと入ってきた。
      これが第一章にあってその後に二章以降で歴史を追っての説明になるという構成も読みやすい。

      そして、「ってかマネージャーまで出来るようになってるんだ、やべぇな、どうするよ人間。」って思った。のが2つ目に繋がります。


      2. 人工知能の発展

      書名にもなっている「人工知能は人間を超えるか」という問いについては、松尾さん自体は「現時点ではNO」という立場なんですが、
      ただ「超えはしないけど代替できるものは沢山ある」というのが明確に書かれています。で、僕にとってはこの内容はかなり衝撃的でした。

      「あと10〜20年でなくなる職業・残る職業」というのが紹介されていて、1.で述べた通り、
      最新の研究ではもはやルール作りまで自分で出来るようになってきている人工知能の現状を踏まえると、リアリティが半端じゃない。
      だってマネージャーまで出来るんだもんね、そりゃ仕事代替できるよね、という感想。

      ただ、当然代替できるものとそうでないものがあって、人とコミュニケーションを取るサービス業、サンプル数が少なくてその場その場で特有の判断(経営判断とか)を下す必要があり経験が必要な職業などは代替が難しいようです。まぁ、そういう仕事って人間だって誰でも出来るわけじゃないよね。。。

      なので個人的には、
      蓋然性が高いか低いか分からない、「人工知能が人間を超えて進歩して、果てはユートピアかディストピアか」みたいな話よりも、
      蓋然性が高い「仕事取って代わられちゃう」って話の方が切実だし怖ぇーな、って思いました。


      類書で同じ出版社で『人工知能は私たちを滅ぼすのか』というのが出ています。



      2冊セットのような装丁・趣きなので、「人工知能は人間を超えるか」というという問いに対して「Yes」って答えてるのかもしれないですね、こちらは。未読なので予想ですが。


      というわけで、
      「人工知能界隈知りたいが何から読んだらいいのかわからん!」とか、「ディープラーニングってバズワードは何さ!?」とか、「SF大好き!!」というような方にはオススメの本です。



      おしまい。 

      2016年6月28日火曜日

      書評『小さなユリと』黒田三郎:幼な子を持つ親御さんは、ハンケチをお忘れなく。

      こんばんわ、どいけんです、いきなり本題です。

      何というか、最近激しい詩があまり読めなくなってきた気がする。

      吉本隆明の恋愛詩みたいな限界で屹立して読むようなものもちょっと食傷気味で、かといって金子光晴の手練れた感じもちょっと違うし、田村隆一の凜とした詩にもちょっと気持ちが追い付けないし、谷川俊太郎の言葉選びも感覚と合わない。
      もっと観念的でない詩が読みたいなぁ、と思う事がふえた。

      これはまぁ、感性が磨耗してきているのもあるかも知れないし、ただ単に疲れているだけかも知れないし、自分の価値観の中で実際的な物の価値というのが大きくなってきたのもあるだろう。

      とにかく、そういう詩を求める精神状態の僕に「ほい来た」とばかりに飛び込んできたのが、黒田三郎の『小さなユリと』だ。



      黒田三郎という詩人を知っている人は、これをあまりいないかも知れない。
      黒田三郎は東大経済学部卒業後、NHKに勤務する傍らでずっと詩作を続けていた。

      詩作の世界では有名だが、戦後の詩人はそもそもあまり教科書にも載らないし、
      文学史的にも書かれることが少ないから、小説が好きで詩は奈辺をちょっとなぞった、
      感じの人は知らないかもしれない。

      谷川俊太郎、田村隆一、増岡剛造のような、THE 詩人という「存在そのものが詩人なんです」系の人でもなく、大岡昇平、吉本隆明のように、詩作以外にも著名な作品を残している人でもない。
      サラリーマンをやりながら小説などは書かず、詩作だけを続けていた人だ。

      そういう黒田三郎の書く、普通の市民生活に根差した眼差しで書かれる詩が凄く心地よかったし、ジワッと来た。

      この『小さなユリと』は、黒田三郎の妻が結核で入院したときの、三歳の娘、ユリとの日々を綴ったもので、まぁ、正直自分の娘がもうすぐ三歳になるので、その境遇へのシンクロ率はかなり高い。

      幼稚園に娘を送り、自身は遅れて仕事に出勤、仕事が終わると娘を迎えに行き、食事を作り家事をこなし、そのあと夜な夜な酒を飲む。

      繰り返される毎日の中、あっという間に大きくなる娘の様子、二人だけで生活する時間というのは唯一性、情けない自分への苛立ち、そういうものに対する感傷的、かつ、自己卑下も含まれた言葉選びが堪らない。

      この詩集だが、黒田本人、そして元々の出版社である昭森社にとっても大切な詩集だったらしい。
      初版は1960年。それを去年、夏葉社が完全復刻した。
      僕が今この詩集を手に入れれているのは夏葉社のお陰だ。
      こんな素晴らしい詩集を復刻してくれたのは本当に有難い。

      黒田自身にも思い入れがある理由として、この生活がひょんな事で突然終わりを迎えたから、というのも大きいと思う。
      (理由は詩集のあとがきに書いてるから読んで。)
      ふと終わってしまった限られた期間を凝縮したのがこの詩集だから、黒田自身も思い入れ深く、読み手にも切々と伝わってくるんだと思う。

      あと、別冊の解説を萩原魚雷が書いてるんだけど、それもめっちゃいい。
      魚雷さん、僕、大好きなんす。




      詩集の紹介なのに一切詩の抜粋をしなかった。
      ねらい、というよりは抜粋のしどころに困って、、、というのが正直なところ。
      薄い詩集ですぐ読めてしまうし、あとがき含めて1冊まるまる読んで欲しい。
      特に、ちっちゃな子を持つお父さんお母さんはもう、書店に駆けつけて頂くか、これはAmazonでも買えるので、ポチって頂くかしてほしい。
      ノーガードだと、うるっときちゃうかもしんないです。
      涙腺未開通と言われる僕でもちょっと「あぅ」っとしたとかしないとか諸説あります。

      おしまい。 

      2016年6月25日土曜日

      【追記あり】【書評】『さいはて紀行』金原みわ:好奇心への忠実さに、背筋正される珍スポ本

      更新の間が空いてしまいました…お久しぶりですどいけんです。
      GW明けに風邪で寝込んだのをきっかけにペース戻せず、ずるずる書かなくなってしまいました。
      何冊か読んで書こうとしては止まり、でした。そこで書いたものは追々形にするという事で、まずはこの本です。


      最初に言っておくと今回紹介する『さいはて紀行』、Amazonでは売っておりません。
      なのでいつもはあるAmazonアフィリエイトの本の画像もございません。
      なのでみなさま、リンク開いて下され。
      ※ 【2017/3/20 追記】今はもうAmazon で売ってございます!!ので以下に貼り付け。
          とはいえシカク出版さんのサイトも面白いので、リンクの類はそのまま残します。



      シカク出版という大阪の出版社から出版されていて、そこのオンラインショップか、
      特設サイトに記載されている幾つかのリアル書店かで買うしかないので悪しからず。
      (ちなみに僕は往来堂書店にあった最後の1冊をゲットしました。再入荷されるかは不明。)


      いや、でも、久々にAmazonで買えない系というか、
      一般流通に乗らない系の本を買いましたが、いいっすね!(感想軽い)


      上にリンク載せたシカク出版も結構面白いもの扱っているようで、
      そもそもジャンル分けのところに「独創的すぎて分類出来なかった本」というのがあります。
      なんじゃそら!!笑


      さて、そういう本でございますので、著者の金原みわさんの事も知りませんでした。
      この方ですが、平日は普通の仕事をする(本の中で薬局に勤めているらしき記述があった)傍らで、休みの日に珍スポット巡りやマイナーイベントを手掛ける珍スポトラベラーだそうです。

      珍スポトラベラーといえば、ほぼ第一人者と言えるのが都築響一さんですが、やっぱりここは接点ありまして、都築さんが発行しているメールマガジンROADSIDERS' weeklyに現在、紀行文を寄稿しているようです。


      で中身の話ですが、まずはスポットの場所。
      超主観で感想言いますと、珍スポット紀行文の場所としてのウルトラCは、特に感じなかったというのが正直なところでした。「うんうん、そういうとこ攻めますよね!」って感じだった。

      ただ正直、僕は珍スポット系関連は結構知ってるからちょっと例外という自覚がある。
      都築さんの本も読んでるし、新日本DEEP案内とか、TOKYO DEEP案内とかもバックナンバー読み漁った挙句、noteの有料コンテンツも買っちゃうような子なので、あんま参考にならん気がする。

      ので、目次を一部抜粋するとこんな感じ。
      罪のさいはて  ――刑務所で髪を切るということ 
      宗教のさいはて ――キリスト看板総本部巡礼 
      夢のさいはて  ――最高齢ストリッパーの夢 
      食のさいはて  ――ゴキブリ食べたら人生変わった 
      水のさいはて  ――淀川アンダーザブリッジ 

      こういう珍スポット紀行を普段読まない人は、この場所だけでかなりエキセントリックだと思うんですが、
      僕が今回この本が面白そうだな、ブログで書きたいなと思ったのはちょっと別。

      でここからはスポットでなく金原さんの話で二つ。
      まず一個目。金原さんの珍スポットの人々への寄り添い方がなんかすごい。

      都築さんとか、他の珍スポット系ってどうしてもインタビュー的というか、
      ドキュメンタリーの製作者と対象の関係というか、やっぱどっか
      「珍スポットにやって来ました」というスタンス、線引きがある。
      それは玄人の芸としては好ましいものなんだけど、金原さんのは異質。

      珍スポットの人々と心を通わせて一喜一憂みたいな感情の交流が必ずあって、
      ドキュメンタリーというよりも、心情描写がちょっと小説寄りじゃね?って位のとこすらある。

      例えば、

      ふとその饅頭の餡子を見たら、先ほどのマサコ嬢の小豆色のショーツが、強烈にフラッシュバックしてきた。 
      あああああ。もう。もう。 
      周りに人がいなかったため、つい声が出た。 
      正直マサコ嬢の夢は絶対叶いっこないと思う。そもそも計画が甘い。店を開くとしても、こんな場末のストリップでお金を貯めきるよりも、先にマサコ嬢にお迎えが来るだろう。絶対無理に決まってる。そんなことよりも、普通のそこら辺にいる老人達のように、普通に安らかにポックリ死ぬことを目指せばいいじゃないか。 
      なんであんなところで、変な夢なんか見るんだ。 
      「あなたは優しい人ね」 
      優しくないって!(p.171-172)

      これ、熱海のストリップで推定80歳のストリッパーのおばあちゃんに会った帰りなんだけど、
      こんなに珍スポット紀行で感情揺さぶられて怒る人いる!!?って位の揺さぶられ方。

      まるで自分のおばあちゃんとか、元々の知り合いとかに対する怒りみたい。
      この例は怒りに触れた例だけど、他のしみじみするような親しい交流とかも、この調子。

      この感情移入の仕方は、ちょっと他に類を見ない。

      二個目。結局これが根幹なんだと思うけど、自分の好奇心・興味に対してとことん忠実。
      働きながら余暇で珍スポット巡りで全国周ってる時点でまず凄い。

      そして正直、女性ってこともあり余計に、周りに話し合うような人って居なそうだなって思う。
      しかもあの感情移入する位の熱量で。それを今までずっと絶やさずに、
      やりたいように好奇心の赴くままにやり続けてるってのが本当に凄いなと思った。

      おじさんに続いて、ホームレスハウスの中に入っていった。……そのうち私は、好奇心に殺されると思う。 (p.60)

      とか。

      価値観が変わる音、というのはもちろんイメージでしかないけれども、私にはそれは咀嚼音のように思える。ゴキブリを咀嚼する度に、自分の中に咀嚼音が響き、ひと噛みごとに価値観が大きく変わっていくのがわかった。 (p.121)

      とか。

      この忠実さ、背筋を正されるなと思って読んでた。
      「お前、言い訳しないでやりたいことやってんかよ」って諭されるような感じがしました。

      「自分の感受性くらい 自分で守れ 馬鹿者よ」
      という、のり子嬢の声が聞こえてくるような気持ちで、本を読み終えました。


      あと最後、都筑さんがこの本の巻末コメントを書いています。(HONZで掲載中)
      そもそもこれを読んで買おうと思いました。

      これを読み、そそくさと本を買い、本を読んだので、
      言ってることも被ってるし、それ以前にこのコメントのスタンスで読んでしまってる。
      ただ、この巻末コメント自体があまりにも良いので、まずこのコメント読むのはアリだと思う。

      同じ珍スポトラベラーじゃないと書けない肌感覚での驚嘆が、
      すごい分かりやすい文章で書かれているので、感動。


      そういった一連があり、居住まいを正す気持ちで、早速ブログを書いたのでした。

      おしまい。


      P.S. 第一人者、都築響一の本たち。匠の技です。
                  


      ---
      【関連する投稿】…書評【ノンフィクション】:都築響一『天国は水割りの味がする〜東京スナック魅酒乱〜』は道徳の教科書レベル

      2016年5月10日火曜日

      書評『ファイト・クラブ』:人生に2回読む小説

      恐らくみんな、知ってはいるだろう『ファイト・クラブ』。

      …あの、ブラピがめっちゃむきむきのやつ!
      …デヴィッド・フィンチャーが撮ったカルトっぽいやつ!
      …ピンクの石鹸のやつ!
      …あれでしょ、TVでやってた不良集めてボクサーにするやつ!ヤラセだったらしいけど。



      そうそう、そういう感じのイメージだよね。最後のは”ガチンコファイトクラブ”だけどね、TBS。「ガチンコファイトクラブの出演者たちはいま」みたいなNAVERまとめあったけどね、読んだらね、結構なアレだったわ。ってそんなことどうでもいいか。あ、タイトルは映画から取ったらしいよ!

      …あれって、いつだっけ?結構前だよね、まだブラピ若かったし。

      そう、映画の公開は1999年。調べたらブラピは当時36歳。ってか36歳であの身体か、やべぇな。。

      …そいで、なんで今さら?しかも書評?

      そう、確かにそう言いたくなるよね。僕も知らなかった。実は『ファイト・クラブ』、原作は小説で
      昨年、早川書房70周年の記念で新訳版が出されたばかりだ。
      ハヤカワ文庫補完計画』と題されて70冊の新訳・新装版が去年から今年にかけて出されている。



      ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』とか、スタニスワフ・レムの『ソラリス』とか錚々たる有名作に混じって、企画のかなり初期段階で『ファイト・クラブ』も刊行された。

      いつも読んでいる書評で見て、みんなと同様「今さらファイト・クラブ?」って思いつつ面白そうだったし、解説者が都甲幸治だったから半信半疑で読んでみた。そしたらドハマり。「ハヤカワまじでいい仕事した!!」って思った。ほんとに良かった。

      そこまでが去年。なので、去年読んだ本のまとめにちょっと書いた。

      んで今回、また読みたくなって再読したが、再読しても面白い。ってかこの小説、その構造的にも、メッセージ性としても、ハマると2度読みは必至。
      その辺の魅力を紹介したいと思う。惹句としては「全オス(♂)必読の小説」だ!どどーん!!


      主人公は自動車会社のリコール・コーディネーター。と言っても閑職じゃない。
      非公表のトップシークレットも含め、自社の自動車の欠陥はすべて知っている。だからおいそれとクビになんかできない、待遇も良い。

      90年代のアメリカが舞台でドットコムバブルも弾けてないし、リーマン・ショックも起きてないから景気も良い。
      高層コンドミニアム住まいで、北欧家具に現代アート、冷蔵庫には洒落たスパイス一揃え。正に独身貴族、そういう完璧に恵まれた暮らし。

      だけど主人公は、精巣ガン患者互助グループの集会に、住血寄生虫宿主の集会に、結腸ガンの集会に通う。慈善事業じゃない。

      そういうところにいる生命保険金7万5000$をリビング・ニーズで換金した余命半年骸骨みたいな女や、バツ3元ボディビルダーで競走馬用ステロイド過剰摂取で乳房が膨らんだ精巣ガンの男と、同じ病気のフリして抱擁して泣きじゃくらないと眠れないという、あらゆる意味で極度の不眠症だからだ。
      希望なんて無い、文字通り明日死ぬかもしれない人たちとコミュニケーションじゃないと、不眠が癒えない。寝てるか起きてるかも判らず、終始頭がボーっとして、生きている実感もない。

      そんな中でタイラー・ダーデン(映画のブラピね)と出会う。

      この後、タイラーと主人公はファイト・クラブを作り、殴りあう。頬の皮が破れて水を飲むとそこから漏れる程。
      そしてそこから本格的に物語に入っていく。ファイト・クラブは広まり、やることはエスカレートし、タイラーはカリスマと化していく・・・


      導入部のあらすじを書いた。
      結局この小説のメッセージは「何のための人生?」っていう事で、それ自体はもう数多ある小説で描かれてきたテーマだ。

      ただ『ファイト・クラブ』の凄さは、それの問い方・答え方だ。
      金銭的・物質的には恵まれているが生きている実感がない。
      その問いかけとして、いかにもハイソな生活に出てきそうな家具やブランドの描写が入る。末期患者たちの生々しい病名、身体、情景の描写が入る。そしてその問いかけを凝縮したのが、この主人公の声だ。


      "お願いだ、タイラー。僕を助けてくれ。  
      ・・・ 
      北欧家具から僕を救い出してくれ。 
      気の効いたアートから僕を救い出してくれ。 
      助けてくれ、タイラー。完璧で完全な人生から、僕を救ってくれ。 " (p.60-61)


      その答えとして、ファイト・クラブでの殴り合いの描写、生傷の描写がある。その他にも暴力、グロ、エロも生々しい、汚い描写が沢山ある。
      なのにそれが、綺麗事の無い生々しさ、直接性が強烈なメッセージ性として読む側に伝わってくる。それにハマる。

      そして、タイラーと主人公はどうなるのか、これは一度読むだけだとわからない小説の構造になっていて、これもハマる。
      (『解題』とか『謎解き』みたいのがネットにゴロゴロある)

      もちろん文章としても上手いんだが、そんな巧拙だとか美醜だとかをほっぽって襟首掴んで引きずって連れて行くようなメッセージの尖り方がこの小説にはある。


      だから映画も実は評価が高い。刺さる人には刺さってる。

      映画が好きで映画評も書いていた伊藤計劃をして「オールタイム・ベスト10に入る」と言わせしめ、
      町山智浩も大好きで、ハリウッド映画人が選ぶ最高の映画ベスト100にも選出された。

      原作の過剰さとメッセージ性と構造が、映画にも乗り移っているからだと思う。


      そして最後。小説の外側の話。

      これだけ映画としても話題になった原作、実は最初は、名もない青年が暇な仕事中の合間に書いたたった7ページの小説だった。
      しかも、その青年が書いて初めて金をもらった(すずめの涙みたいな金だけど)小説だ。
      それが2〜3年かけて徐々に話題になり、映画になり、カルト的な人気を全世界に巻き起こしていったのだ。その名もない青年が、原作者のチャック・パラニュークだ。今では『20世紀の古典』とまでアメリカでは言われているらしい。

      これは今回の新版に収録されたチャック・パラニュークのあとがきで明らかにされている。
      このデビューまでのエピソードがあとがきにあるんだけど、これがトドメとしては堪らなかった。ここも含めて読んで欲しい。


      色々書いて若干とっちらかってしまったけど、2回読みたいと思う小説って本当に少ない。
      新刊はどんどん出るし、新刊じゃなくても読みたい本は溜まっていくし、人生限られた中で、読書の時間なんて更に限られた中で、同じ小説を2回読むってのは相当レアだし、そういう小説と出会えるってのは相当ラッキー。
      何年かぶりに見つけた2回読める小説、しかもこんだけ引っ張ってってくれるやつって滅多にない。
      ので、誰か一人でも気になって読んで見る人がいたら嬉しいっす。

      おしまい。




      P. S. 
      今度移動図書館で『何度も繰り返し読んだ本』みたいなテーマはどうだろ?ジャンル縛りはなしで。
      持ってきてくれる各人の珠玉の本が揃って面白いんじゃないかな!

      2016年4月30日土曜日

      書評『アートの入り口』河内タカ:ウォーホルからヴィヴィアン・マイヤーまで


      アメリカの近現代アートについて、NYでキュレーションや編集に携わっていた著者がFacebook に綴ったものをまとめた一冊。




      エドワード・ホッパー、アンディ・ウォーホルなど、アメリカの近現代アートの大看板に関するエッセイもあるが、そこはあくまで取っ掛かり。

      ウィリアム・クライン、ロバート・フランク、ナン・ゴールドウィン、ラリー・クラーク、ロバート・メイプルソープ、ジョゼフ・コーネル、サイ・トゥオンボリー、ジェフ・クーンズ、…最後にはヴィヴィアン・マイヤーまで出てくる!

      こういった、今までアートの入門書ではなかなか扱われなかったフォトグラファーやアーティストについて、その人となり、作品の意義・背景が簡潔に紹介されている事が、この本の一番の魅力だ。

      ナン・ゴールドウィンの写真集を作った時のエピソードや、ジェフ・クーンズの家にランチしに行ったエピソードなど、実際に関わった人じゃないと書けない話が、普通の友人・知り合いを紹介するようなフランクなタッチで書かれている。

      そしてもう一つ素晴らしいのは写真集や作品のカラー写真が挿し込まれている事。
      全てについているわけではないが、写真集や、ウォーホルの初期作品の写真もあったりして嬉しい。やっぱり図版とかでイメージ湧かせたいしね、入門なら尚更。

      個人的にはメイプルソープのセルフポートレート、ロバート・フランクの『アメリカ人たち』、ナンゴールドウィンの『性的依存のバラッド』辺りの写真があったので「こういう本は見た事ないな」と思ってこの本の購入を決めた。よく見るウォーホルのバナナとかシルクスクリーンの図版だけなら買わなかった。

      Facebook5年分の文章なので結構量があり、本もそこそこに分厚い(368ページ)。一気読みするとかなりの数のアーティストが出てくるので結構キャパオーバーすると思う。

      だけどfacebookに日々投稿してる内容なので一つ一つのエピソードが2〜3ページ程度と多くない。
      アソート形式のオードブルみたいに、気に入った時に気に入ったものだけ肩肘張らずに読めばいいと思う。
      その方が楽しく門戸を叩けるし。

      個人的には上述したフォトグラファーとかのエピソードを紹介している一章が結構断トツで好き。
      あと個人的なだけど、ダッシュ・スノーとライアン・マクギンレーが無かったので、そこは欲しかった。

      本の紹介サイトもきちんとしたのが作られていて、対談とかやる予定も載ってるので、気になる向きはこっちも要チェック!!
      更に気になる人は河内さんのfacebookをフォローするといいと思います!(僕もしました)

      この本で予習した後、代官山蔦屋ないしはTSUTAYA TOKYO ROPPONGIあたりで写真集やら美術書を読み漁るなんてのは、お金の掛からない入門の仕方としてGWに如何でしょうか!!(ミーハー感が結構アレだけどね…)

      おしまい。。

      2016年4月27日水曜日

      落語:三遊亭楽天さんの落語会に行ってきました!!

      さて、今回は管理人の好きな落語のお話です。

      少し間が空いてしまいましたが、先週土曜日、落語家三遊亭楽天さんの落語会に行って来たので、その感想を書きたいと思います。

      もはや図書館のブログなんだか何なんだか、という話はありますが、、、まぁイベントでも落語やってるし、好きなんだからいいじゃないか!
      何ならいつもの書評よりよっぽど長ぇぞ!


      まず三遊亭楽天さんですが、六代目三遊亭圓楽さんのお弟子さんです。
      六代目三遊亭圓楽さんについて補足しますと、『笑点』で紫の方です、以上。(分かるでしょ?これで)
      で、楽天さんですが、2012年8月に入門し、昨年10月に二つ目に昇進された新進気鋭の落語家さんです。

      それで、経歴が面白くて、元々ダンサーなんですよ、楽天さんは。

      私事ですが、うちの嫁がダンサー時代の楽天さんと知り合いで、その繋がりで僕も口演のお知らせとか頂いている次第です。楽天さん、元々はストリートダンス系(?疎くてよく判らない…)を始め、色々な所、僕が嫁に聞いたのはTDLのパレードとかで踊ったり、ダンスのレッスンをされていたプロのダンサーさんでした。

      後でまたちゃんと触れますが、そういった異色の経歴でございますので本日の色物は、なんと『ダンス』でした!! 場所も大森スポーツセンター!!
      落語とダンス、和洋折衷、文科系と体育会系のケミストリー(これは書きたかっただけ…)な内容と相成っておりました。

      番組は、
      ・落語:三遊亭楽天『手紙無筆』
      ・落語:三遊亭らっ好『しの字嫌い』
      ・落語:三遊亭楽天『金明竹』
      ・色物:三遊亭轟天号『ストリートダンス』
      ・仲入り
      ・トーク:三遊亭轟天号、三遊亭らっ好
      ・落語:三遊亭楽天『禁酒番屋』
      という形。人ごとに書いていこうと思います。

      【三遊亭らっ好】
      らっ好さんは三遊亭好楽(笑点でいうと、ピンクです)のお弟子さんの三遊亭好太郎さんのお弟子さんだそうです。好楽さんの孫弟子です。今年6月に二つ目昇進されるとの事です。




      演目は『しの字嫌い』だったんですが、アクのない聞きやすい感じの声・調子で、個人的には結構好きでした。
      「ラッコに似てる」と最初に言われたことから”らっ好”に決まったとの事なんですが、確かにラッコのごとき愛らしくて憎めない感じで、その雰囲気もあり噺を和やかなものにしているなと思いました。
      (全然本筋と関係ないけど、ラッコって漢字で書くと途端に強そうな印象。獺虎…)

      しの字嫌いはその名の通りで、主人と使いのものの間で「し」を言ってはいけないという取り決めをして…という話。(超、ざっくり…)
      前座噺と言われたりするものの、トチって変なタイミングで「し」が入らないようにしたりは、結構大変なんじゃないかなと思います。

      あと、勝手な想像なんですが、らっ好さんかなり理論派なんじゃないかな、かなり緻密にくすぐりとか言い立てとか構築しそう。
      今後見てみたいネタとしては『小言幸兵衛』、くすぐりをガツガツアレンジして入れ込んで欲しい。
      あとは『宿屋の富』、これは個人の印象なんだけど志ん朝ベースの『宿屋の富』とか合いそう。


      【三遊亭轟天号】
      色物のダンスユニットです。



      ごうさん(写真真ん中)、小林さん(写真右)、楽天さん(写真左)というトリオ。

      落語の色物でダンスというのは相当珍しいんじゃないかと思いますが不思議なほど自然。全然違和感なかったです。

      ダンスの評価ですが、正直僕は出来ないのでよくわかりません!!
      「あ、この振り付けめちゃイケで岡村が似たようなのやってたー」とか、ボーッとバカなこと思ってました!!笑
      ご本人たちは体力の衰え、練習の少なさ等々を言っておられたので、次回以降、乞うご期待と述べておきますです。
      ただ、毎回見るのは結構楽しみですね、これは。「回を追う毎に良くなっていくから、今回が底辺」という轟天号さん方の弁もございましたので。。
      (ってか、全然ちゃんと書いてないですね、すいません。)


      【三遊亭楽天】
      今回の主役でございます、たっぷり3席。


      いや、正直申し上げて、期待値をですね、どこに置けばいいか分からん状態で今回聞きに行ったというのが聞く前の実際のところでした。
      昨年2つ目になられたのですが、前座時代の落語の感想を嫁の知り合いづてに聞いたりとか、ブログで書いてあるもの漁ったりとかしてると外角低めのボールが投げられている感じだったという(失礼しました!!)、そういう下馬評を脳裏に携えて参りました。

      が、ここで僕が更新します。凄い良かったです!!

      普通に話を聞いていてまとまっていましたし、危ぶまれるようなところも無かったかなと思いますので、今までの下馬票は完全に蹴散らしたのかなと思います。

      そして更に、聞いてて際立って「いいなぁ」と思ったのが3点ございまして、順に申し上げます。

      まず、キャラクターの表現。登場人物のキャラクターの演じ分けが上手く、すごく立体的に噺が聞こえてきました。
      金明竹の小僧、妻、上方者のやり取りも個々が立っていたし、個人的には禁酒番屋の番人の酔っぱらっていく様子が白眉でした。うまーくデフォルメされて可笑しみがあった。
      この可笑しみが含まれた上での描写ってなかなか見ないと思う。

      次には言葉のリズム、粋っぷり。手紙無筆のときからリズム感というか、何だろ、別にそんな江戸言葉がつがつという感じの噺ではなかったと思うんですが、江戸言葉の粋っぷりを感じました。
      ダンスをやられていて身体にリズム感が染み付いてる事も一因だと思うし、多分体幹が安定してるからなのかな、腹から声が出て捲したてる感じとか、清々しかった。
      ちゃんと理由を語りきれないんですが、とにかくそういうものを感じて「いいなぁ」と、思いました。

      3点目はくすぐり。今っぽいセンスのくすぐり、好きでした。
      『ファイナルアンサー』とかね、ちょいちょい入っていて、あんま詳しく書くとネタバレっぽくなってしまうかも知れないので書きませんが、くすぐり自体のセンスと、作り込んでる感じとが良かったです。
      これは多分今後、もっと抽出しが増えていくと思うので期待です。

      で、今後演って欲しい噺。これはアンケートにも書いたんですけど、まず『大工調べ』。これは今回感じた「いいなっ」てところ全部入ると思う。キャラ分け、言葉のリズム、くすぐりもバンバン入れられるし。すっごい演って欲しい。

      あと、リズム、粋っぷりというところで『たがや』。江戸の夏じゃないですか。これ、どうです?夏の寄席で『たがや』なんて時節にも合って最高じゃないですか!?(勝手にゴリ押し)

      酔っ払いのキャラクタっていうピンポイントなところで『らくだ』もかなり見たい。屑屋が変貌していくところとか、スゴい上手いと思う。

      あとは変化球的に『猫と金魚』。この噺すごい難しいと思うんですが、どう演るかってのを期待しちゃいます。今っぽいくすぐりとか入れて頂きたい。。



      と。
      えー、散々偉そうに&好き勝手書いてしまいまして、ご本人が読んだ感想が怖いところなのですが…
      1ファンの戯れとお聞き流し頂ければと思います。。

      さて楽天さん自身もブログを更新されているので、リンクさせて頂きます。

      次回の落語会も是非行こうと思っております。らっ好さんも追いかけたい。

      もし落語好きな方でご興味あればわたくし、ハブになりますのでお気軽におっしゃって下さい。


      それでは、おしまい。 

      2016年4月21日木曜日

      書評『小説家という職業』森博嗣: ”ビジネスとして”の小説家案内

       

      本書を開くと序盤も序盤、まえがきの9行目でこんな事が書いてある。

      もしあなたが小説家になりたかったら、小説など読むな。

      『すべてがFになる』や『スカイ・クロラ』の作者である森博嗣が、主に小説家になりたい人に向けて小説家というものを語っているのだが、何を隠そう、これが本書の結論だ。
      (森博嗣自身もはっきりこの本の結論だと言っている)

      この本が世に数多ある「小説家になるには」シリーズの他の本と一線を画すのもまさにこの一文に依る。

      初めて彼が小説を書こうと思った理由、それはお金だった。小説が好きだからでも小説家に憧れたわけでも何でもない。
      当時大学教授だった彼にとって小説家、それは副業としてお金を稼げる手段、つまり「アルバイト」だった。
      アルバイトを探す要件としてシフト、労働環境、業務内容、報酬もろもろを考えるとこんな感じだ。

      ・シフト= いつでも好きな時間に働けます(週0からOK!!)
      ・労働環境 = 在宅勤務OK
      ・業務内容 = 小説の執筆
      ・準備頂くもの = PC、もしくは紙とペン(文章が書ければ特に指定なし)
      ・報酬 = 出来高制(但し、アウトプットの質により0の場合もございます)

      こう考えた時、大学教授として沢山の学生の論文指導で文章力には自信のあった(但し国語力には無かった)森博嗣は、「勝算あり」として小説を書き始めたのだった。そして結果は…ご覧の通りというわけだ。

      だから彼にとっては小説はビジネス、ビジネスとして小説執筆を考えて「こうすべき」と判断される諸々を総括し、凝縮した一言が冒頭の一文となるのだ。

      で、具体的にどういうことかと言うと、まず、
       ① 小説(特に売れる小説)において最も大切なものは「オリジナリティ」である
       ② 小説家を志すにおいて最も大切なことは「小説を書くこと」である
      というのが森博嗣のキーメッセージである。

      それに対して、このメッセージを送る主な対象である「小説を書きたい人」というのは
      a)  小説が好きである
      b) 小説をよく読んでいる
      という性質を持つ人が多いと推測される。

      a) b)の性質というのは、キーメッセージにどう働くかというと、
      a)は、既存の好きな作品に影響を受けやすくなってしまうので、「オリジナリティ」の獲得に反する 。ゆえに①に反する。
      b)は、小説を読むことに時間を費やしてしまうので「小説を書くこと」が十分にできない。ゆえに②に反する。 
      と考えられる。

      ゆえに「もしあなたが小説家になりたかったら、小説など読むな」となるのだ。

      まあ、本の中ではここまで論理式チックに細かく記載されているわけではないけれど、
      あくまでビジネスとして戦略的に、そして論理的にこう考えてやってきた結果、自分がどうしてきたのか。
      そして小説家になりたい人はどうすれば良いと思うのか、が書かれている。

      あとはビジネスとして収益性という点で、「収入がどれ位になったか」という事にも軽く触れている。
      (詳しくは『作家の収支』という別の新書に書かれている。これも面白い)


      極端な部分は当然あるが、
      「結局、ほんとに才能あるやつはそもそもこんなハウトゥーめいた本は読まんのだろうし、読んだとしても好きにやってほっといても頭角表すでしょう。
      だからこういう本を読んで小説家になりたいとか言ってる人たちは、きちんと差別化して、きちんと売る戦略も考えて勝負しましょうね。」
      という主旨のことが書いてあり、これは本当にその通りだと思う。

      小説家になろうとか言ってる人には暴論言うくらいでちょうどいいっすよね、って僕も思う。
      なので、会社の上司みたいに大人の正論できちんと若者をぶった切る感じは、すごくカタルシスで読んでて気分良かった。

      ちなみに森博嗣はkindle版が多い。(『すべてがFになる』『スカイ・クロラ』も当然ある)
      これもまた森博嗣がビジネスとしてどう売っていくのか、を考えた結果なのだろう。
       

      あと、kindle版だとよくセールになっているので、好きな方はちょいちょい見ることをオススメする。
      たまに「日替わりセール」とかにも出てるし。

      今はこれが安いみたい。




      おしまい。

      2016年4月20日水曜日

      書評『我が詩的自伝』吉増剛造: 天才はかくあっけらかんと語りき

      本の表紙を開くとカバーの内側に、筆者の略歴と近影が載っている。そこに舌を出して人を食ったような顔をしてるのが、吉増剛造だ。

      吉本隆明をして『日本には詩のプロフェッショナルと呼べる人が3人いる。田村隆一、谷川俊太郎、そして吉増剛造だ』と言わしめたこの人は、近影を見て何となく雰囲気が伝わる通り実にあっけらかんとした口調で自分の来し方を語る。

      ただ口調とは裏腹にその内容然り、言葉を紡ぐまでの思考はまさに詩の天才のそれ。
      思考の跳び方とか発想もそうだし、知的な抽出しも詩はもとより哲学、日本の古典、海外文学、民俗学、アート…とばんばん飛んでいって、正直凄過ぎて何言ってるか良く分かんないとこもちょこちょこある。
      人間関係もなんか凄くて、親交があった人でも田村隆一、アレン・ギンズバーグ、ジョナス・メカス、中上健次、アラーキー…と錚々たるメンツが色々居て、あげく奥さんが六カ国語を操る才女のブラジル人!笑

      読んでいて吉増剛造の天才たる所以を一番感じるのは、吉増剛造が一番敏感に感じ取り思考を巡らせているのが「言葉になる前の思想や感覚」だということ。しかもそれが生起する瞬間とかを絶対見逃さない。
      インタビュー形式の語り下ろしなんだけど、節々で「これはこのインタビューで初めて概念化された」とか「この思想は話してて初めて繋がった」とか「これは言葉には出来ないんだけど」とか言ってるし、詩のモチーフ(最近の作品はもはや進ち過ぎて、いわゆる"詩"の形式ですらない…)も五感全てだけでなく、時間感覚、事件性、場所すらも動員されて編み出されている。

      全編を通じてそんな感じなので、本当に驚嘆する。
      ちなみに詩は学生時代に初めて書いた時からもう、書き方が判ったらしい。そんなんを最初の方にさらっと言ってる。
      あと同じく最初の方でモチーフの原風景とか女性性の話してる時に、「つい最近ある女の人を好きになってとても困っちゃったから…」とかさらっと言ってる。笑
      あんた御年77歳だろが!って。

      最後若干脱線しましたが、気になる人は是非読んで欲しい。新書で安いし。そうそう、税込1,000円切るんだよ、この本!安いの!
      カバー付けて単行本にしたら値段3倍でも納得感あるような、しっかりした内容なのに。
      6月から東京国立近代美術館で回顧展をやるみたいで、多分その宣伝も兼ねてるからこんなに安いんだと思うんだけど、かなりお得感高いっす、コレ。



      なので書店で表紙めくって舌を出した吉増さんを見てピンと来たら、とりあえず買いましょう皆さま。

      おしまい。

      2016年4月19日火曜日

      書評:ホリエモンの熱いお節介が村上龍とダブってきた『君はどこにでも行ける』

      ホリエモンのこの本とか、関連するインタビューを読んでいると、「あいつ、昔は相当なワルだったのに、アキちゃんと結婚してガキも産まれて、すっかり丸くなりやがって…」という国道沿いの食べ放題2,280円を囲むいい歳こいたマイルドヤンキーの周りで5万回位繰り返されてそうな情景がちょっと頭を掠める。



      要は「若い時、散々好き放題やった兄ちゃんが、いい年になってすっかり丸くなり、面倒見が良くなった。」という感じだ。

      ホリエモンは実際ある人に「堀江さんは最高のお節介ですね」と言われたことがあるそうで、この本もそういった気持ちで日本という国と人々を本気で憂うホリエモンが随所に感じられた。

      ライブドアで鮮烈に日本のビジネス界にデビューして、『稼ぐが勝ち』だの「サラリーマンは現代の奴隷階級」だの扇動的な言葉を放って一躍有名になって選挙、ニッポン放送の買収と試みるも逮捕され、刑期を終えて現在に至る。
      言葉のキレや炎上っぷりは変わらずだけど、最近の本やインタビューを見てると、何となく「あー、この人は本気で日本の事心配してるっぽいな」と感じた。

      「何となくこのスタンス、どっかで読んだような記憶が…」と思っていたら思い出した。そう村上龍だ。

      村上龍の名前を知る人も、初期の小説を読んだことない人からしてみると「ああ、『13歳のハローワーク』ね」「『カンブリア宮殿』ね」位なもんだろうが、どっこい待て待てだ。

      デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』では麻薬、乱交、ヒッピーなどなどてんこ盛りの超話題作で芥川賞をかっさらい、今も続く「すべての男は消耗品である」というエッセイなんか、初期は「ブスは幸せになれない」だの「汚い格好のカップルは景観の邪魔だからイルミネーションなんか見に来んな」だの、散々な事を言っていた。

          

       それが90年代から経済の話をするようになって、いまや日本を憂いまくるおじさんだ。

      分かり合える人がいるのか全く自信がないが、この奔放っぷりからの国と若者を憂うおじさんへの傾きっぷり、同じ変遷を辿り初めている気がしてならない。

      村上龍はもうエッセイも小説もその匂いが染み付いて取れない。
      もちろん、それ自体は大変有り難くて良い事書いてあるんだけど、正直読み物としては面白くない。
      あの、”キューピー人形がたらいで行水したみたいにあっさりしたセックス”っていうぶっ飛んだ描写を書いた人はどこへ?
      お国の事はとりあえず良いから、そういう誰も書かない小説を書いて欲しいですよ、元ファンとしては。

      それで、この本自体は凄い良くて、熱い、タメになる内容だったんだけど、それゆえに今後ますますホリエモンの国の憂いぶりは加速するんじゃないかと不安。
      だからどうか憂うる事はそこそこに、ビジネスだけ見てぶっ飛んだやつ展開して欲しいです。
      だから宇宙事業とか結構期待してる。国を憂うる事に貴重な才能を費やす事だけはして欲しくない。
      (まあ、こっちこそ余計なお世話、ではあるが・・・)

      2016年4月11日月曜日

      書評:平成まで大衆芸能史をアップデートした記念碑的テレビ本『1989年のテレビっ子』

      大変お久しぶりです、、、どいけんです。

      イベントが終わりばたばたとしている間に3月が過ぎ、あっという間に桜も散り際。
      時の流れは早いもんですねぇ(水野晴郎風)、ほんとに。
      ブログの更新もすっかりサボってすみません。。

      さて、今日紹介するのは『1989年のテレビっ子』(戸部田誠)です。
      発売前からcakesで特集されていて、心待ちにしていた本なのですが、読んだら期待通りというか期待以上に最高でした!





      この本は昭和が終わり平成が始まった1989年。その年をテレビバラエティのターニングポイントとなる年として、
      そこに至るまでの"昭和テレビバラエティ史”と、"平成テレビバラエティ史”の始まりを描く内容になってる。
      凄いのは、昭和から平成までを通史的に書いた本って、大衆芸能史の本と捉えると多分初めてで、だからこの本ってホント記念碑的だと思う!!

      笑いに関する大衆芸能って、江戸時代の烏亭焉馬から始まる「寄席」を場とした落語と、
      明治時代の川上音次郎のから始まった「劇場」を場とした喜劇が戦後すぐまで二大メジャーで、
      昭和30年代頃から「テレビ」がその二大メジャーを駆逐したという流れになっている。

      実際、コント55号の欽ちゃんや坂上二郎、ビートたけしなんかは劇団出身だし、明石家さんまも元は落語家で、元々中心だった「寄席」「劇場」という場から「テレビ」という場へと移ってコメディアンとして大物になった人たちが、漫才ブームの頃まではそこそこにいる。

      だから昭和から平成にかけてのテレビバラエティ史をアップデートすることはそのまま、大衆芸能史をアップデートすることを意味する。
      それ初めてだな、マジで凄いなと思ったから本が出る前からワクワクしてた。

      どうターニングポイントだったか、をものすごく簡単に言うと、1989年に起きたことは、
      ・『夢で逢えたら』(ダウンタウン、ウッチャンナンチャン)全国放送開始
      ・『今夜は最高!』(タモリ)が裏番組の『ねるとん紅鯨団』(とんねるず)に視聴率で負け、終了
      ・『オレたちひょうきん族』(たけし、さんま)の終了
      で、昭和のビッグネームや代名詞的な番組の終了と、平成のビッグネームの本格的な活躍の開始だ。

      昭和のテレビバラエティは「コント55号、ザ・ドリフターズ → 漫才ブーム → BIG3 (タモリ、たけし、さんま)」、
      平成のテレビバラエティは「とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナイン」というのが、
      ものすごい大まかな構図で、コント55号から始まる昭和のテレビバラエティ史から始まり、1989年を迎え、平成のテレビバラエティになっていくという流れが、本書では書かれている。

      更に、2014年3月31日、この日を(著者の感傷も交え)”平成テレビバラエティの終わり”と言っている。
      この日の夜は32年続いた「笑っていいとも」のグランドフィナーレで、タモリ、さんま、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナインが一同に介した。(たけしは昼間に出演)

      ネット上で『テレビのお葬式みたい』と流れたりもした通り、その場は昭和から生き残り続けてテレビを引っ張ってきたBIG3と、
      平成のテレビを彩ってきたビッグネームが集まり、壮観すぎてもうなんか国葬でもやってるような雰囲気だった。その事を本書でも書いている。

      僕も同意見。グランドフィナーレを見たとき、"終わる”感が半端なかった。
      ネットも出てきて、国民みんなテレビを見るわけでは無くなった。メディアの劣化も叫ばれて久しい。
      そういう状態で、こんな「国民的スター」みたいな人をテレビが生み出すことはないんだろうなーって思った。
      まあ、テレビが生み出さないということは、ネットとか、新しい何かでそういう人が出てくる筈だから、それはそれで楽しみなんだけど。


      と、最後締まりがないですが、思わず感傷的になるほど、僕らに卑近なテレビバラエティ史が全て書かれた、素晴らしい本なのです。
      現代史か現社の授業あたりで、読ませたい、これ。


      おしまい。