2017年2月27日月曜日

【書評】ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』: 滅多にない、絶対に読むべき本!!

話題の『サピエンス全史』をやっと読み終えた。




初めて知ったのは昨年末に出たBrutusの『危険な読書』特集で、初っ端から

"全ての価値観を問い直すアナーキーな人類史。"

とか書かれていて「あー、こりゃ、相当にヤバそうな本だな」と思っていたが、読んだら案の定相当ヤバい本だった。

この本は、「何故、ホモ・サピエンスが他のヒト属(クロマニヨン人とかネアンデルタール人とか)と違い、唯一生き残る人種となったのか?」という問いから語られるホモ・サピエンスの壮大な物語だ。

ホモ・サピエンス、つまり僕らの話ではあるのだけれど、この本はホモ・サピエンスにまつわる単純な歴史を並べた物語でもなければ、単純な生物学の物語でもない。

歴史学、宗教学、科学、経済学、心理学などのあらゆる分野に及んで織り成される絢爛たる織物のような物語だ。

じゃあ、何故そういう物語になったのか。
勿論それは著者の知識のひけらかしなんかではなく(物凄い知識量なのは確かだが)、ホモ・サピエンスが生き残った理由、そして、その後の歴史の説明に必要だからだ。

著者はホモ・サピエンスが生き残った理由を「虚構を生み出す力があったからだ」という風に説明している。

虚構というものを通して、多くの人々が特定の目的の基に行動出来るようになり、他の人類種には到底統率出来ない大規模での集団行動を行えるようになったからこそ、生き残る事が出来た、と説明している。

この虚構を生み出した出来事を「認知革命」と本書では呼んでおり、ここからホモ・サピエンスの物語が始まる。

そして物語の中で「虚構って具体的に何なのか。どう生まれ、どうホモ・サピエンスに関わっていったのか。」という話がされていく。

この大前提的な説明があって、そこから物語が綴られていくので、結果的に僕らの営為全てを一つ一つ虚構だと確認しながら物語が進む。

そりゃ当然、アナーキーになる。

認知革命以降の歴史の中で、宗教が生まれ、国が生まれ、貨幣が生まれ、会社が生まれ、民主主義が生まれる。 
これらは全て現代の生活の中に根付いていて、世界の秩序を司っている。
だから僕らは実態があるものの様に扱っているけれど、そもそもの始まりは全て虚構なのだ。

そういう事を一つ一つ、あらゆる分野の学問の知識と、その歴史的な起こりを確認しながら物語が進んでいく。

そして著者にとっては虚構という意味ではこれらは等価だ。だから、本書の中では一神教だろうが二元論だろうがナチズムだろうがリバタリアニズムだろうが等しく比較され、批評される。

正直読んでてこっちが「こんな事書いちゃって大丈夫なの!?」とか思う箇所も幾つかある。
原理主義方面やら動物愛護方面やら人道主義方面やらに、あまねく角を立てているような気さえして「おいおい日本は無神教だからいいけども、大丈夫かね、こりゃまた…」と思いながらも本をめくる手が止まりません、という状況になりながら読んだ。

もう一人この本で話題になるのはその最終章、ホモ・サピエンスの未来の部分だ。
この予想がまた紛糾もので、それまでの叙述を前提にしている体にしつつも、一気に最先端のバイオテクノロジーとか人工知能研究の話をベースに未来予想を持ち込んでやたら濃い。

それもその筈で『サピエンス全史』には続きがあるのだ。
日本では未刊行だが、2016年9月に『サピエンス全史』の続きにあたる、"Homo Deus: A Brief History of Tomorrow "がアメリカで刊行された。この続編は、著者がホモ・サピエンスの未来を予想した一冊になっているらしい。
最終章の熱の入り方からして、こっちの本こそ著者が本当に書きたかったものなのでは?と思う。

そういうわけでやっと上下巻読み終わってやっと世間の話題に追い付いたと思うのも束の間だった。これだけ話題だときっともう、翻訳も進めているだろう。

てなわけで、読んでない人まず『サピエンス全史』を読んで、世界中が注目すると歴史的な学者の未来予想に備えよう。


おしまい。



2017年2月23日木曜日

【書評】尾形亀之助『美しい街』:能町みね子のとっておきの詩人

この詩集が出るのを知ったのは、夏葉社のTwitterを見たからだ。


※ 2/23現在、Amazonに無いので、夏葉社さんの画像をお借りした。

夏葉社は、前に黒田三郎の『小さなユリと』を買って以来(紹介ブログはこちら
新刊を気にしている小規模の出版社だ。

いい詩集が多く、それに、往来堂に置いてあるから、会社帰りに少し遠回りすれば寄れる。
この詩集も往来堂で買った。
(全然関係ないけど、2/17に取次が始まったのを2/21に買ったら、まだバーコードが読み取れなかった。)

さらに興味を惹いたのが、なんと、
巻末エッセイを能町みね子が書いてるのだ。
(詩の選出も一部携わったらしい)

能町さん界隈の人には常識なのかも知れないけれども、尾形亀之助は、能町さんのフェイバリット詩人らしい。(彼女の言葉を借りれば"ファン")

という前情報があったので、指折り2/17を待ち、書店に入ってそうなタイミングで往来堂を覗き、この本をゲットした。

詩についてはある程度知っていると、手前味噌な僕は思っていたんだけど、
尾形亀之助、知らなかった。

この人の詩は独特だ。
言葉少なで、ぶっきらぼう。
決して説明は多くない。むしろ全然ない。
見たもの、思ったものを、そのまんまアウトプットしたような感じ。

だけど、その言葉で、その日常の光景が見えてくる。時には、その言葉に書かれたもの以上が見えてくる。そういう詩だ。

十二月
紅を染めた夕やけ

風と

ガラスのよごれ

これなんか、好きな詩だった。うわってなった。

窓越しに見る夕焼け。そこに風が吹いて風景を揺らし、雀が地面なのか、塀なのか、どこかに留まっては飛び立ち、留まっては飛び立ちしている。
それをずっと、窓ガラス越しに見ていると、窓ガラスの汚れがふと目に入る。
そういう情景が、書かれていなくても見えてくる。寧ろ、書かれていないから、自由な想像を通して見えてくる。俳句みたいだ

尾形亀之助は、散文もいい。
一つだけ亀之助の散文が載せられており、これは亀之助の二人の子供に向けた書簡という体で彼の考えが書かれているのだけれど、これがまた凄い。

100年以上前に生まれた詩人が書いたとはおよそ思えないような、自由で進歩的な文章が書いてある。未来を先取りしている。

能町さんがこの文章を読んで救われたという趣旨のことを巻末エッセイで書いており、「なるほどな」と思う。

また、詩集には直接書かれてはいないが、亀之助の詩人としての人となりも魅力だ。

1900年に生まれ、東北学院を中退した後、ほぼ定職を持たず、実家からの仕送りで暮らし、42歳の若さで孤独死した。(by Wikipedia)

この生き様のぶっきらぼうさ。
こんなに詩人らしく、また、詩人らしくない詩人はいない。
無頼さはいかにも詩人らしいが、そういう無頼な詩人に多い(例えば金子光晴みたいな)、流浪し、女の子にちょっかい掛ける様な感じはない。ただ家にぼうっと居るだけ、朴念仁、という感じがする。

経歴としては雑誌『歴程』の創刊メンバーらしく、その辺り、実は凄い。実は、って失礼極まりないけど…。
※『歴程』は中原中也などが創刊メンバーの雑誌。この人なんかはいかにも詩人らしい詩人。


手元に置いておいて、ふとした時に開いて、少し読んで、閉じる。
という付き合い方を、これから長くしていきたいと思う詩集だった。(能町さんの実践しているやり方の受け売り。だけど、本当にその通り。)


おしまい。

P.S. 彼の詩集、『色ガラスの街』は、青空文庫にあるから、まず読んで見たい人はそちらを探すのもいいかも。

2017年2月6日月曜日

【書評】岸政彦 他『質的社会調査の方法 』:読み物としても最高な社会学のテキスト

先日の小説に引き続き、岸政彦の著作を紹介するんだけど、これが滅法面白かった。

今回紹介するのは、彼の専門分野である社会学の教科書だ。
2016年12月に有斐閣(この響きがもう懐かしい‼︎)から出版された、『質的社会調査の方法』を紹介する。



なんか"有斐閣ストゥディア"という2013年から刊行を開始した、大学生向けの教科書らしい。
こんなリーダーフレンドリーな教科書が刊行されているなんて、最近の大学生が羨ましい…。

学生でもなく社会学専攻でもなかった三十路越えの自分だが、とりあえず著作が出たら読みたいという位には岸政彦が好きなので、


honzの書評で「岸政彦が社会学の教科書を書いた」「これが滅法読み物として面白い」という情報をキャッチし、早速購入し読むに至った。

著者は岸政彦・石岡丈昇・丸山里美の3名。

岸政彦】
このブログでも紹介している社会学者。市井の普通の人々や、"社会的弱者"、"マイノリティー"と一般的にはレッテル付けされるような人の調査をされている。

『断片的なものの社会学』『町の人生』など、一般向けにも読みやすいインタビュー、エッセイが近年刊行されていて、さらに先日小説が芥川賞候補になった。
(その書評はこちら

僕はこの人の『断片的なものの社会学』を読んで、「こういう事をやってる社会学者が居るんだ」という事を知った。


(この本のリンク、多分4回位貼ってんな…笑)

【石岡丈昇】
マニラのボクシングジムに1年住み込みで調査を行い、『ローカルボクサーと貧困世界』という主著を書き上げた社会学者。


僕は前に岸政彦が責任編集をしていた雑誌『at 』でこの人の書いたものを読んだ事があった。この『at』も凄くおすすめ。

あと、北大の准教授らしく、北大出身の自分としては勝手に親近感。笑

【丸山里美】
ホームレス施設への住込みやボランティア、インタビューなどを通して『女性ホームレスとして生きる』という主著を書き上げた社会学者。


読んだことは無いのだが、テーマが興味深かったので、この本自体は知っていた。教科書の文章を読む限り、この人の文章は読みやすいので、かなり面白いと思う。


と、この3名が、

岸政彦:序章、3章.生活史
石岡丈昇:2章.参与観察
丸山里美:1章.フィールドワーク

という分担で書いている。

内容としては、まず「社会学とは何?」「質的調査とは何?」という基本的なところを岸政彦が序章で説明したのち、それぞれの研究分野と絡めて1〜3章が記述される。

で、この各章がめちゃくちゃ面白い。

各著者が自分の主な研究をサンプルとしながら、
「どうやってテーマを決め」「どうやって調査に向かい」「どのように人達とやり取りして」調査記録を残したのか、
その記録を基に論文を書くにあたり、「どういう所に気を付け」「どういう所に悩み」仕上げていったのか、
という、具体的な成果物が仕上がるまでのステップ、注意点、自分の苦労話や想いが余すことなく書いてある。

かなり細かくて、"手土産の持っていき方"とか、"依頼メールの書き方"とかまで書かれてる。
注意点も同じく細かくて、「ネット上の例文をそのままコピペしないこと、時勢の挨拶などは不要」とか、「ICレコーダーの下にはハンカチやハンドタオルを置く」とかまで書いてある。笑えるレベル。凄い。

なので、今まで読んだ社会学の本がどうやって作られていったのか、その舞台裏を明かしてもらったような気持ちになった。
それにあたかも自分も調査に参加するような、むしろ自分も調査してみたいような、そういう気持ちになった。

それともう一点、これは主に3章とブックガイドの事で、先行研究の紹介が面白く、読みたい本が次々見つかった。


石岡丈昇、丸山里美の主著も勿論だけど、岸政彦の紹介がホントに良くて、「興味あるけど、具体的な方法論とかまではまぁ…」という人は、先ず3章とブックガイドを読んで欲しい。先人達の研究にウルウルするから。
(個人的に一番キタのは中野卓の『口述の生活史』のくだり。これは凄いよ、ただAmazonで中古7,000円とかするんで、おいそれとは手が出なくて困る。)
 
ほんと、こんなの高校生の時に読んでたら社会学やりたくなってた気がする。今の若者よ、羨ましい。

大学生以外の人が読んでも勿論面白いし、「この本から社会学の本読み始める」ってのを止めるではないですが(居なそうだけど…)、一応、以下の本辺りを読んでから読むのがおすすめです。
その方が成果物のイメージが沸くので、具体的な調査方法のくだりが面白くなりますから。

      

ふー、また岸さんの本で熱くなってしまった。

おしまい。


2017年2月5日日曜日

【書評】児玉博『堤清二 罪と業 最後の「告白」』:堤清二が語る、一族の物語

本書は昨年(2016年)大宅壮一ノンフィクション賞を取った著作で、かなり話題になったので覚えている人もいるかもしれない。



西武鉄道グループの祖、堤康次郎の息子であり、元セゾングループ代表であった堤清二。
彼が2013年に還らぬ人となる直前、2012年に行ったインタビューを基に構成されたのが本書だ。

インタビューの中から紡ぎ出された堤清二とその家族とのエピソードを中心に、西武グループの興りから堤一族の没落(2005年の堤義明逮捕に端を発する西武グループ解体をここでは指す)までが書かれている。
勿論、堤清二本人のインタビューというのが目玉ではあるものの、彼の、というよりも彼の発言を触媒にして、堤一族の人間模様が描き出す事を主眼にした評伝だ。

立志伝であれば、父で創業者の堤康次郎、二男でセゾングループ代表の清二、三男で西武鉄道グループ代表の義明、この3人がやはり中心ではあるが、
この評伝では清二の母親である堤操、義明の母親である石塚恒子や、清二の妹である邦子や、清二の異母兄弟(義明とは同じ母親)である康弘、猶二などの人物像も立つように描かれており、それがこの本の白眉だと思う。

大袈裟な物言いをするならば『平家物語』のように、ある一族の勃興から没落について、多様な人物の想いが切り取られる。

栄華を勝ち取るものの立志伝(=堤康次郎の立身出世)、息子達の活躍と争い(=清二と康明による経営拡大と、それに伴う争い)、その男を見る女の想い(=堤操と石塚恒子の想い)、子を想う母の歌もある。(=堤操は歌人であり、清二が幼い頃に詠まれた子を想う短歌などが紹介されている)

物語には、堤家の複雑な家系や康次郎の女性遍歴、康明の女性遍歴なども当然絡む。
そのためマスコミやメディアでは、清二と康明の争いも相まってスキャンダルとしての扱いが先行してしまい、ゴシップ的に描かれがちだった。

そういうゴシップ目線を取り除いて丹念に書かれている。

話題の本、というのでこの本から読んでも勿論いいが、僕は去年、辻井喬(堤清二のペンネーム)の『叙情と闘争』を読んでいて、これがいい前提知識になった。時間が許すならこの本も合わせて読むといい。


この本は堤清二/辻井喬が西武百貨店に入り、一代でセゾングループを築き上げるまでの事業、文学遍歴の回想録だ。
辻井喬として、詩や小説で幾つも文学賞を受賞しているだけあり、文体は凄く瑞々しく、リリカルだ。
こんなに爽やかなタッチで政治家や事業家達とのやり取りを振り返った回想録を他に知らない。

「セゾン文化」というものが気になり、そこからセゾングループを築いた堤清二という人間が気になって読み始めたが、文章といい、内容といい、びっくりするほど面白い。スコープとしては、バブル期前後の時代のみならず、戦後日本が当てはまる内容だった。

そして、堤一族を捉えるならばもっとスコープは広く、20世紀という尺度に照らしてその業績を考えるべき人々だ。なので、もっと広い歴史と照らしたい人は本書(『堤清二 罪と業…』の方)から読むべきだろう。

何せ堤康次郎の立身出世の物語には、「大隈重信から頼まれて『新日本』の社長になった」みたいところから始まるんだから。

色々な所に興味の広がりが持てる、いい読書だった。