2017年11月3日金曜日

【ちょい書評】『雨やどり』半村良:昭和の繁華街へのノスタルジー

今回のは書評というか、ちょっとした個人的な感想のメモに近い。

秋も深まってくると、少しノスタルジックな本が読みたくなる。
なので、例年秋がくると泉麻人の『おやつストーリー』を読み返す。
これを読み返して80年代のおやつと共に、当時の風俗・雰囲気を回顧する習わしが個人的にあるのだ。


だけど今年は何となく、半村良の新宿物が読みたくなって、
『雨やどり』を中古で買い直した。



戦後、60〜80年代の銀座、新宿。
経済成長とともに息を吹き返す銀座と、新興繁華街として勢力を高める新宿。
この2つの街を軸に繰り広げる惚れた腫れたの話。いかにもな感じなのだ。

半村良という作家を、最近の人はどれだけ知っているかってほぼ知らないんだろうけど、
この人が書く私小説風の世界観は、当時雑多だった新宿の雰囲気を伝えていてとてもいい。

「新宿なんて、他のところではちゃんとやれなかった半端もん達の集まるところ」なんて、いま聞いてもピンと来ないけど、当時新興の繁華街だった新宿には、そういう空気があったようだ。
バーテンやら何やら、数多の職業を点々とし、そういう場所に暮らしていた半村の描く小説にはそういう時代があったと思わせる説得力がある。

副読本としては、これ。


その時代の雰囲気がよく伝わってくる写真集、当時の、高層ビル群になる前の雑多な新宿の写真もある。

あと、半村自身は放送作家もしていたらしく、表題作の『雨やどり』もドラマ化されているようだ。なので、80年代辺りを描いた作品はどこかしらトレンディードラマ臭がしてくる。
雑多な街が徐々に整備され、みんな大人になり、経済成長で潤った時代の上で色恋して遊ぶ、という流れだ。

その辺りのいかにも感もまた味わい深く、昭和の懐深さを感じる。

ちなみにこの短編集で個人的に一番好きなのは"愚者の町"というやつだ。
上述した時代の雰囲気を存分に纏う、新宿の飲み屋で繰り広げられる話だ。
これは山田詠美が選出した短編集に収められていて、確か25歳位のときに読んだ。7,8年も前だ。



そんときはちょうど"二十五歳"という金子光晴の詩とかにハマってたり、詩集やら小説やらをやたら読んでいた。

最後、話が方々に飛んで収集ついてないけど、個人的なメモ書きだから、これでいいのだ。

「これでいいのだ」といえば赤塚不二夫の天才バカボンだけど、赤塚不二夫と聞くと何となく新宿と赤坂が思い浮かぶなぁと思っていたらそうそう、
赤塚不二夫とタモリとの出会いの場が、新宿2丁目にあった「ジャックと豆の木」だからか。
赤坂は、赤塚不二夫がタモリを居候させたマンションが赤坂にあって、家賃が当時17万だったって話だ。

あっ、また話が発散した…



おしまい。

2017年11月2日木曜日

『SHOE DOG 靴にすべてを。』フィル・ナイト:リリカルな文章で描かれるほんまもんの起業物語。

ナイキの創業者であるフィル・ナイトがその創業期から株式上場までを著した『SHOE DOG 靴にすべてを。』。


昨年(2016年)アメリカで原著が出た時から良書だと言われていたらしく、翻訳が待たれていた。

なにせあのウォーレン・バフェットが『2016年の最高の本。フィル・ナイトは天性のストーリーテラーだ。』というコメントまで寄せているのだ。

スポーツブランドの創業者に"天性のストーリーテラー"とはオーバーだと思うかもしれないけど、読み始めてすぐにバフェットの言葉は正鵠を得ている事が判る。

物語の始まりは1960年代初頭。
マリリン・モンロー、ジェームス・ディーン、エルヴィス・プレスリー、そんなアイコンに象徴される黄金の50年代の空気冷めやらぬ中、フィルは世界一周の旅に出る。
ヒッピームーブメントが本格的に訪れて、猫も杓子も自由を求め、旅に出るのがメジャーになるのはもう少し後の事だ。

そんな中スタンフォードでMBAを取得した秀才であるフィルは就職もせずに旅に出た。
本文では結構さらりと書かれているけど、当時、この選択肢は相当にクレイジーだったと思う。

そしてこの旅の描写できっと皆、フィルが天性のストーリーテラーだと納得する。
その様子は50年前の事だなんて夢にも思えないほど確かで、瑞々しい。若い感性であらゆるものを見聞きし、感じ、思考している。旅のお供はペーパーバックの『ライ麦畑でつかまえて』と『裸のランチ』。
それはまるで、若い作家がこの夏行った旅のエッセイを書いてるかのようだ。

でもそうじゃなくてこの本は、今や世界売上ナンバーワンのスポーツブランド"NIKE"の創業者、フィル・ナイトの半生記だ。
だから勿論この旅の中に、ナイキの始まりが書かれている。

フィルは旅の途中、日本でオニツカの本社を訪れる。西海岸におけるオニツカの代理販売権を得るためだ。これはフィルの旅の目的の一つだった。

ここで運良くなのか、ハッタリが効いたのか(まぁ、実際読むとこれがよく効いてるんだけど…)、代理販売店としてオニツカの靴を送ってもらえる約束をこぎつける。

そう、知らなかったんだけど、ナイキの始まりはオニツカの靴の代理販売店だったのだ。スポーツブランドは愚か、シューズメーカーですらなかった。そこから世界のナイキに成長していく。
この本にはその代理販売店としての始まりから、1980年の株式上場まで書かれている。

この旅から始まって、彼の文章に引き込まれたら、その後は株式上場までぐいぐいと読み進んでいってしまう事請け合いだ。

ただ、この本を読んでない人たちにとっては、こんなの"若者の向こう見ずな行動から全てが始まって、あれよあれよという間に登りつめていく成功譚"で、おきまりパターンの一つに過ぎないと感じるかもしれない。

だけどこの本は違う。
正確に言うと、事実としてはそうなっていくんだけど、ほんとにおきまりパターンの一つ程度の魅力しかこの本にないとしたら、こんな500ページを越える本なんて読めないし、話題にもならない。

この本が、そんなおきまりパターンには収まらないと思う理由は2つある。

一つは、あまりにフィルに"天性のストーリーテラー"としての才能があるから。彼の書く物語は終始喜び、悲しみ、葛藤、恥じらいなどの若々しさに溢れていていつまでも年を取らないし、教養も交えたウィットも含まれている。
リチャード・ファインマンのエッセイに感じるような瑞々しい感情のひだがいつも顔を見せていて、世界一周の旅に出た時の感性と同じままで、1980年まで時を運んでくれる。

もう一つは、500ページのどこを切っても同じようにフィルが全力でやり抜いていて、あれよあれよなんてどこにもないからで、これがこの本の肝だ。
やり抜いて何とか終わって、また何かが起こって、やり抜いて。するとまた何かが起こって、やり抜いて。それからまたやり抜いて、その後にまたやり抜いて、どうしようもない事が起きて無理そうになりながらもやり抜いて、また何かが起こってやり抜いてる。その顛末をずっと書いてある。

創業者としてスタートアップから始めるって事は、こんなにもやり抜いてやり抜いてやり抜かないといけないんだなと思う。
しかもこんなにやり抜いてる様を500ページも、飽きさせずに読ませる本なんてちょっと他に知らなくて、それがバフェットをして"2016年の最高の本"と言わしめたんだなと深く納得する。

"Just Do It"って、よくCMでもやってるけど、どんなアスリートよりもこの精神を持っているのがフィルなんだと思い、このスローガンにも妙に納得がいく。
まぁ、読んでるとフィル自身はむしろ"Just Do It and Do It and Do It and Do It and Do It and Do It!!"って感じだけど。

軽々しく「起業したいっす」とか言うのは簡単だし、結構最近多いけど(特にコンサル界隈(恥))、起業だのビジネスやるだのって夢?キャリアパス?を描く事があるならば、
ここまでやれる対象があるのかって話だったり、ぐずぐず言う位ならやれる事全部やれよって話だったり、結局その辺り、骨身を惜しまずに出来るかが一番大事なんだなというのがよく分かる。
分厚い物語を読み進めるので、頭でだけじゃなく、身体も伴って分かる。
ただ、文章が良いので、とにかくなんかやりてーって気持ちにもなる。
そういうアクセルにもブレーキにもなる罪な本だった。


おしまい。

2017年9月9日土曜日

『マチネの終わりに』平野啓一郎:よくある恋愛小説に倦んだ人に。



この本は恋愛小説というジャンルに括られる。

が、普通の恋愛小説、想い合う二人の果実が実って何らかの蜜月を過ごす(もしくは過ごした)話、を期待して読むと恐らくはぐらかされたような気持ちになるだろう

この小説で費やされるほとんど全ての二人の時間は、蜜月に焦がれる未来への期待と、うらはらに別の方向へ運ばれる現在と、実らなかった過去を振り返る思いに彩られる。

だから、僕らがいつも思い浮かべる恋愛小説というもののように事は運ばない。
むしろそれは、最近、恋愛小説と言われるものに倦んでいた僕としては新鮮だった。

主人公の薪野と洋子は40歳に差し掛かる"いい歳した"男と女だ。
 小説の中では5年の月日が流れるが、2人が会うのは、最初の1年間、そしてそれも3度だけだ。
1度目は出逢い、2度目は再会、3度目にやっと互いの想いが通じ合う。いずれもプラトニックな邂逅だ。

後の4年は全く会わない。会わないどころかお互い別々に伴侶を持ち、子供をもうけ、自分1人の問題で回収出来ないところまで、別々の人生を歩んでいく。

こんな2人を掴まえて恋愛だということ自体、傍目からみて、ちょっと無理がある。
ましてやその物語が『大人の恋愛小説』として話題になるなんていうのは、ちゃんちゃら可笑しい話としか思えない。いくらいい歳した男女の話だからって、それはないだろうと。

なのに読むと、恋愛小説としての質の高さを感じずにはいられない。しかもかなり奥深い。
その深淵が、普遍性を持つところまで深く深く入り込んでいるから、自分もこういう経験をした事があるのではないか、これからもし得るのではないかと思えてくる。

多分それは、現実における時の流れ方、それに対する2人の想いの変遷が、丹念に描写されているからだ。
互いに"最高の恋愛"だと思っていた瞬間とその記憶を、現実では別の方向に人生が進んでいく中、腐らせずにどう昇華させていくのかが描かれている。
その記憶を昇華させていく過程が深さと、普遍性を持っていると感じる。

また、2人を取り巻く人物のキャラクター、取り巻く環境もとても周到に準備されていて、主題はしっかりと捉えつつもストーリーとしても面白く、完成度の高いものなっている。

同世代の数多ある小説を思いながらこの小説のクオリティを考えたとき、「やっぱ平野啓一郎はすげぇーなー」とアホみたいに思った。

cakesで連載されていたのは知ってたけど、"恋愛小説"というフレーズで敬遠してたから、こんなに面白いなら早く読んどきゃよかったなと思った。

それに今読むのと、10年後に読むのと、20年後に読むのとでは、全く違うところでつぼに嵌まったり、感極まったりしそうだ。
そういう、再読する楽しみと怖みがある小説でもある。

おしまい。

2017年8月28日月曜日

【書評】『声をかける』高石宏輔:繰り返す「人との交われなさ」



この本は、ナンパを通してフィールドワークした本だ。
もっというと、ナンパを通して人との交われなさをフィールドワークした本だ。

だから、読んでもナンパ出来るようにはならないし、楽しい気分にもならないし、むしろイラついた気持ちとザラついた気持ちが少しずつ残る。


前作の良さと装画に惹かれて、400ページ、一気に読み終えてしまって、ザラつきやらなにやらが残ってしまって、誰かと共有したいけど誰に勧めたらいいかが分からない。

女の子に読ませても、ナンパ師に読ませても、非リア充男子に読ませても多分ちょっと嫌だなって思われそうな気がする。
リア充男子はそもそもこんなの読まない。

本の中で、著者はナンパを始める。
最初はクラブに来るのも初めてで、声のかけ方も分からなくてもどかしい。
それがある時、成功する。別の日に会って、お酒を飲んで、SEXして、付き合ったような関係になるけど結果、2人は交わらない。

その後もいろんな人に声を掛け続ける。
成功したりしなかったり、SEXしたりしなかったり、付き合ったり付き合わなかったりするけど結果、交わらない。

著者は半ば意識的に、相手だけでなく自分の心も観察対象にしている。
そしてどこかで、全て客観視している節がある。

だから、相応に長い付き合いになっても、相手の感情の深い部分を垣間見たとしても、お互いの心や、生き方が交わる前に覚めてしまう。
そしてまた、同じ結末になるとわかっていながら、次のフィールドワークに出掛けてしまう。

そんな中、「あー、この光景は生涯忘れないだろうな」みたいな、瞬間風速Maxの瞬間だけがいくつか通り過ぎていくのが切ない。

無理やり例えを考えてみると、
オールで遊んで、みんな別れて、酒も目もなんだか覚めてきて、ふっと「一人だな」って思ったりするような瞬間に似てる気がする。

それできっと、そもそもこの例えみたいな気分にならない人は読んでも「え、それで何?」みたいな感じになると思うし、そういう気分になる人は自分自身の女々しさだったり、煮え切らなさだったりが本書から垣間見える瞬間にイラついたりして心がザワつく。
そしてこの本は、構成、文章もまたザワつく。
小説にも、社会学の本にもなりきっていない。
文学に成り切ったなら私小説、
感情を殺し切ったなら宮台真司の社会学、
フィールドワークに徹し切ったなら岸政彦の社会学、そのどれにもなってないような本なのだ。
小説的なストーリー展開ではあるがどこか記録的だし、研究心はあるようだけどどこか卑俗的だ。

自分がなんでこんなにハマったのかを考えながらどういう本なのか書いたけど、
全然褒めどころも薦めどころも出せなかった。

「じゃあオススメじゃないんかい!」と言われてしまいそうだけど、いや、そうじゃなくて、

一言で語れないところに宙吊りされていて、男が読んでも、きっと女が読んでもザラザラしてしまう部分を残してしまう本というのが、他に類書が思い当たらず、この本の無二な部分なのだ。
だからこの本を読みたいときは、他のどれもダメで、この本でなくてはいけないのだ。

と、言い切ったところで再読してザラつこう。


おしまい。

2017年7月20日木曜日

【7/27まで無料公開!】宿野かほる『ルビンの壺が割れた』:新潮社の秀逸な新人作家認知度アップキャンペーン


何と発売前の小説を期間限定で全文公開しているのだ。


本作がデビュー作である無名&素性不明な作家の宿野かほる、
その才能を何とか世に知らしめようとして思い立ったのが今回の企画らしく、
無料で全文公開し、読んだ人から帯文に載せるキャッチコピー募集をしている。

いやー、しかしこれはいいキャンペーンだと思う。
時代の流れを汲んでいる。

キングコングの西野も自分の絵本を無料で公開していたけども(しかもなんか知らんけどかなり炎上してたし、別にいいじゃんねと思う。西野は好きでも嫌いでもないけど)
無料公開してまず読んでもらって認知度を上げるっていうのは、
コンテンツがしっかりとしていればかなり有効だと思う。

僕も今朝知って、早速読んでキャッチコピーに応募した。

かなり面白い小説だったし、オチが気になって仕方ないので止められず、夢中で読み終わった。

細かいレビューは書けないけども、
(それは新潮社がご法度にしている)
是非ともこの期間に読んでみて欲しいので、
ここで紹介する次第。

あまり長くもないから、
1〜2時間もあれば読めちゃうし。

刊行は8月らしいので、刊行されたらレビュー追記するかも。まぁ、オチを書いては終わりなので、そこは書かないが。

しかしこの作家、どこまで認知度が広がるかしら。
そして、長編とか書いたら読みたいな。


サクリとおしまい。

2017年7月5日水曜日

【書評】逢坂まさよし『首都圏住みたくない街』:サイト運営10年分が凝縮された"首都圏ヤバい土地大図鑑"

さて、ご無沙汰しております、どいけんです。

仕事の種類がちょっと変わって、
慣れない中でバタバタしてる内にすっかり夏…いけませんな。。

久々となった今回書評するのは、
僕の大大大好きなサイト、東京DEEP案内を運営している
逢坂まさよし+DEEP案内編集部がお送りする、
『首都圏住みたくない街』でございます。



この本、ある程度今までの東京DEEP案内の総まとめ的な内容になっていて、
500pにも及ぶ厚さで首都圏の数多ある街々についての実地調査
&歯に衣着せぬアレやコレやが綴られています。

この本はもう、一言でいうと"首都圏ヤバい土地大図鑑"
10年にも及ぶフィールドワークで溜められた首都圏の風俗街、
ドヤ街、元スラム、呑み屋街、工業地帯、貧困地帯、DQN地帯、
宗教地帯、その他アレなまちのデータがてんこ盛り。

逢坂さんをはじめとするDEEP案内編集部の現地主義の徹底ぶりには頭が下がる次第でございまして、
そこから紡ぎ出された住みたくない街ってばこれホント、
「住んだらアカンなぁ」と心底首肯がするわけであります。

コンテンツももう目白押しで、

・首都圏「絶対住みたくない街」コレクション
   →首都圏27街区の住みたくない理由、住みたくないランキングを一挙公開
・鉄道沿線別"傾向と対策"
    →首都圏45路線総評価
・東京タウンマトリクス2017年度版and使い方
    →首都圏主要(数える気にならん3桁)街区を座標平面にまとめてプロット
・住みたくないけどたまに行くならこんな街
    →東京場末13街区をお散歩評価
・首都圏バラック建築評価
    →いつまで存在するか分からない戦後日本の面影を総ざらえ

などなどなど…と言った他にも

・東京コリアタウン列伝
・首都圏ドヤ街探訪
・オウム真理教は貴方の街にも住んでいる
・創価大学&朝鮮大学校 学祭レポート
・首都圏鉄道駅別ネタ帳 23区&多摩・神奈川&千葉・埼玉

とまぁ、お腹いっぱい胸いっぱいな内容でお送りしとるわけです。

例えばランキングなんかは、
似非セレブすぎて無理ゾーン、紛争地帯すぎて無理ゾーン、陰気臭すぎて無理ゾーン…
と言った分類付けをされてその中でも「さもありなん」みたいな街もあれば
「あれー、其処って某不動産紹介サイトの住みたい街ランキング常連ではー…」
みたいな街までカバーされてる。
どうやって住みたくない街を見分けるかという基準、
目星の付け方まで伝授してくれていたりで当に至れり尽くせり。。

話のネタとしても尽きないし、お引っ越しの際はバイブルとして使える、
ホント最強な本なんです。


「アレな街を引っ張り出して、あれこれ叩いて面白がってるだけじゃん!」
って思うかも知れないけども、そればっかりでも無いんです。
(まぁ、それもあるけど)

管理人の逢坂さん、大阪の某団地出身とこのことで、
学生時代の自宅周辺、学校、地域社会の荒れ具合は
相当だったと回顧している。

荒れた土地柄のせいで本来グレなくてもよかったのにグレたり、
不要な犯罪や喧嘩・抗争に巻き込まれたり下手すると死んだり、
シンナーや薬物などを遠ざけることが出来ずに
人生を棒に振ったりした友人を見てきたという。

そういう土地で育った記憶を背景に
「住む場所さえ間違わなければ済んだのに、
住んだ環境のせいて不幸にならないようにしてほしい」
という思いも込めて、この本やサイトを続けられてるという。

というわけで、ただただ笑うのみでなく、
実用としても役立てられるスバラシイ本なのだ。


P.S. この本にも載ってない位の突っ込んだ話題については、
東京DEEP案内のnoteで有料で見られます。
自分は大分有料note買ってる。

一例としては森友学園問題とか、
BADHOPな話とか、埼玉DQN伝説とか、
某ハイパーマッドタウン○潮とか、珍スポ三昧とか、
殺人現場の現地レポなど…
(特に森友学園問題のリサーチ力はマジで秀逸)

興味ある向きはこの辺も読んでみると
更に東京DEEPな世界を堪能できる事請け合いです。

更に更に、サイトとしては東京のみにとどまらず、
大阪、日本全国、世界版もあるよ!
(ってかそもそも始まりは大阪)



おしまい。

2017年4月10日月曜日

【書評】田中宏暁『ランニングする前に読む本』:スロージョギングを実践してみた!

実は先月くらいからランニングを始めまして、
週3回、5〜10kmというのを目標ペースにして走るようにしております。
(4月に入って忙しくなり、いきなり頓挫しておりますが…)

僕は何か始めると基本、文物から情報を得ようとする習性があって、講談社ブルーバックスの新刊で見つけた本書をチョイス。
ブルーバックスの運動本って、なんか科学的で効果ありそうじゃん!?
なので、最近ランニング界隈で話題のスロージョギングの本を読んでみました。



まず、本書の著者である田中宏暁氏は、スロージョギングの第一人者だ。

スロージョギングって一体なに?って話になると思うんだが、それは一言で言うならば、『運動生理学から導かれたもっとも身体に優しい走り方』との事である。

で、これを実践するために本書で提唱されている最低原則は、たった2つだ。

一、フォアフット(=足の前側)着地で走ること
二、ラクなペースで走ること

この原則を守る事で何と、初心者でも3ヶ月でフルマラソンを走れるようになり、きちんとやればサブスリー(=フルマラソン3h切ること)まで達成出来るのだと言う。

「まさか、そんなラクに…」と思うだろうが、著者は何とそれを実践してサブスリーを達成しているのだ。

本書を読んでいくと、ラクなペース(本文中にはこのラクなペースの目安となる強度が示されている。これ、正直ちゃんと測るならスマートウォッチとか、ジムに行って計測しないと主観的過ぎてあんまわからん)て走る事にも運動生理学上れっきとした理由がある事が分かる。

人がエネルギーを生み出す際の代謝の仕組みが関係している。
ざっくり話すと、エネルギーを生み出すには脂肪を使う場合と、グリコーゲンを使う場合がある。
ただ、グリコーゲンを使うとバテてしまうので、長距離を走る際には極力グリコーゲンの消費を抑える必要がある。
だが、キツいペースで普段走っているとグリコーゲンを使ってしまう身体になってしまうので、その消費を抑えるような代謝機能が身に付かないのだ。

だからラクなペースで走り、脂肪優先で消費するような身体を作る事を優先し、ラクなペースを徐々に早くしていくという事をしなくてはいけないのだ。

言われるとそうなのかなーと思うのだが、推奨ペースでいざ走り始めるとかなり遅くて「マジで早くなんのかなー」って思えてきたりもする。

ただラクだから距離・時間は走れるし、その分効果てきめんに痩せる。

スロージョギング的には痩せる事は重要な要素で、身体が軽ければ軽いほどラクに走るペースも速くなる(当たり前だけど)ので、
「ラクなペース、かつ、脚を壊さない走り方(=フォアフット着地)で毎日走り、痩せつつ、脂肪優先で燃焼する身体にしつつ、徐々にタイムを上げていく」
というのがセオリーなのだ。

いや、でもラクなペースでも毎日続けるっていうのはかなりしんどいので、それが出来る人ならサブスリー確かに行くかもなぁと思う。
かなり具体的な日々の練習メニューも書いてあって、一通りやってみたのだがやはり毎日は続かない。元々根気の男なので、僕。

とはいえ、途切れ途切れてまた途切れ、みたいなペースを繰り返しつつでも続けて行くとフルマラソン走れんのかなぁとかは気になるので、気長に実践してみようと思う。

理屈もある程度抑えたい人には本書を進めるけど、もしポイントだけサクッと抑えたい人がいれば、『RUNNING STYLE』という雑誌でスロージョギング特集やってるので、これもオススメ。
これは心拍数とかも目安の数値を定めてあって分かりやすい。


おしまい。

2017年4月7日金曜日

【書評?】村上春樹『騎士団長殺し』:趣向を変えて、村上春樹風に。

僕が彼について語る資格があるとは思っていない。なぜなら僕はハルキニストではなかったし、読み終えた今もそうじゃない。
だが、それが何だと言うのだ。
本当はハルキニストなんて居ないかもしれないし、全員がそうなのかも知れない。そんなこと、誰にも分からない。
ただ一つ言えるのは、僕は彼と出会い、彼を読んだ、それだけだ。
そして今、僕は彼の事について語ろうとしている。


あの日、仕事が終わった僕はふらりと本屋に立ち寄った。確か日本橋の丸善だったと思う。ひょっとすると、僕が丸善だと思っているだけで、別の本屋かもしれない。

いずれにせよ、オフィス街にあって、スーツ姿のビジネスマンが多く、洋書は決まって4階にある、そんな本屋だ。

いつも行く2階の人文科学書コーナーに向かっていくと、ちょうどエスカレーターの目の前に、彼はうず高く積み上げられていた。
その光景を僕は何度も見ていたし、普段なら気にも留めなかった。なのに、あの日に限って、僕は彼の事が気にかかり、少し視線を投げ掛けた。

すると彼は、僕に話し掛けてきた。
正確にいうと、彼は僕の鼓膜ではなくて、脳に直接語りかけてきた。

『やぁ』
「やぁ」
僕は無意識に返事をしていた。僕は生来、人からの語りかけを無視出来ない性質らしい。

『目配せだけして去っていくなんて、ひどいね』
「ちょっと、急いでいたもんでね。気を悪くしたなら謝るよ」
『いいさ。もうさすがに、ずっとこうして平積みにされているから慣れっこでね』
「いつからこうして平積みにされているんだい」
『2月22日。まぁ、もっとも、日付なんかに意味は無いがね。日付を有難がっているのなんて、人間くらいなもんさ。僕ら本には日付も、昼も夜も関係ない。ただずっと、開かれるのを待っているだけさ』
確かに、本にとっては日付なんて関係無いのだろう。僕はそれを聞いて、自分がいかに人間の尺度だけで生きていたかを思い知った。そして少し、彼に感心してしまった。

「だけど、本を性別を持つ。"僕は"って、君は男性なんだろ、違うかい」
『ああ、そうだ』
「日付というルールは持たないのに、性別というルールを持つ。おかしなものだね。性別は何かの役に立つのかい」
『リーブルさ』
「リーブル?」
『そう、フランス語で本を表す"livre"は男性名詞、だから僕らは男なんだ』
「だけど、役には立ちそうにもないね」
『"美しいルールには黙って従うこと"、それだけさ』
「ふーん、それは君に書いてある事かい?」
『ああ。それと僕の中に書かれているのは、『騎士団長殺し』という絵の事、イデアの事、メンシキという風変りで魅力的な男の事、いくつかの絵とセックスの事、そんなところさ。どうだい、試してみるかい?』

試してみるか、とはつまり買って読めという事なんだろう。
確かに、僕はこうして本屋に来ているし、本屋に来て小説を買うのは自然な事だ。少なくとも本屋に来て鯵のマリネを買ったり、日曜大工の工具を一揃えして帰るよりはよっぽど普通な事だろう。
ただ、僕はハルキニストではない。ハルキニストでない者が村上春樹の小説を買う事は、本屋で鯵のマリネを買う事よりも、普通な事なのだろうか。

「まぁ、考えておくよ」
『"床に落として割れたら、それは卵だ"』
「えっ?」
『僕に書いてある事さ。さっさと床に落としてみないと、卵だって腐るぜ』
「少し位考えてたって、腐りはしないもんさ。卵には消費期限という日付があるからね。もっとも、日付を持たない君には判らないかも知れないけれどね」

『"今が時だ"』

『"今が時だ"、これは僕に書いてある言葉の中で、最も大事な言葉の一つだ。確かに僕らは日付を持たない。でも、かと言って、僕らは、過去、未来、今が判らないわけじゃない。今は今なんだ。今を逃すと過去になる、僕を読んで少し勉強した方がいいぜ。そう、"今が時だ"』


結局、僕は彼を買って帰り、全て読み終えた。
読み易く、展開も面白くて、上・下巻合わせて1,000ページほどはあろうというのに、3日とかからなかった。

中味は彼の言う通り、『騎士団長殺し』という絵をテーマに、主人公の肖像画家とメンシキという男を中心に進んでいく物語で、イデアが姿を現したり、肖像画が完成しなかったり、忘れられないセックスが幾つかあったりした。(唯一の例外が"美しいルールには従うこと"という言葉だ。この言葉だけは随分探しても、彼の中に見つけることが出来なかった。)

"今は時だ"という言葉も存在していた。
僕が思うに、この言葉は彼の中で最も大事な言葉の一つではなく、最も大事な言葉だ。
この言葉が無ければ、きっと物語の結末は締まりのない、冗長で時間を無為に過ごさせるような物語になっていただろう。
ちょうど、茹で過ぎてアル・デンテの食感を喪ってしまったパスタの様に。賞味期限を切らして腐った卵の様に。


あの時、日本橋の丸善で僕に声掛けたのはもしかするとイデアなのかも知れない。読み終えた今となっては、そう思う。
彼の中から気まぐれに飛び出してきたのか、はたまた、彼に書いてある通りのイデアの性質上の問題なのかは分からない。
ただ、彼の中に綴られているイデアのように、僕にとっても導きを与えてくれた事を僕は信じる。

彼の話はこれで終わりだ。もう彼、もしくはイデアが僕に話しかけてくる事は無いけれど、まるで僕も彼に書かれた小説世界の一部のように思えている。

僕はハルキニストでは無かったし、読み終えた今もそうじゃない。けれども僕にはそんな面倒な事に答えを考える必要はない。なぜなら僕は小説世界の一部に僕が居たということを、信じる力が具わっているからだ。

それは彼から僕に手渡された贈り物なのだ。"恩寵のひとつのかたちとして"、そんな気がしてならない。いまでも彼が本棚からぐっすり眠っている僕に向かって話かけているような気がする。
『きみはそれを信じた方がいい』



おしまい。

2017年3月29日水曜日

【書評】落合陽一『超AI時代の生存戦略』:デジタルネイティヴ最先端の思考を体感しよう!(動画追加・追記あり)



落合陽一という人を知ったのは去年の年末くらい。

成毛さんの本(下のリンクの本)の推薦書に『魔法の世紀』が載っていて、紹介文に
1987年生まれの著者は 、筑波大学情報学群情報メディア創成学類卒 、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了で 「現代の魔法使い 」と呼ばれている研究者だ。
と書かれていた。

     

で、

若いし、"メディア創成学類"って謎だし、「現代の魔法使い」だし。
とにかくわけわかんなくて、物凄く興味を惹かれて、注目するようになった。

それからは、NewsPicksとかを中心にインタビューとか色々読んでいるけど、これまた正直わっからん。
一般的なテーマに沿ったインタビュー(例えば就活とか)だとまだ分かるんだけど、
著者自身の研究の話とかになると結構マジで分からん。

当然、凄いのは分かるんだけどね、仕組みが分からなすぎてマジックなんだよね。まさに魔術師。

これとか。二次元のディスプレイなんだけど触ると心臓みたいにどくどくする、みたいのとか。

落合陽一はいかにして、「魔法使い」になったのか(cakes: 「21世紀の変人たち」とする、「真面目」な話)

あと、これ人柄を表してるインタビューでいいなと思ったやつ。
物質嫁の良さを『解像度が高いし、性能が高い』みたいな事言ってるのとかね、実質嫁と比較したりして。

でも「いい奴なんですよね、嫁」みたいな、エモい事言ったりする。


なんか若いしぶっ飛んでるし『うっわ!遂にこういう人出て来たんだ』っていうので、見つけて嬉しかったのが、落合さんです。

同世代で現在形、かつ、出た本全部読みたいって思う、数少ない人です。
(あとは詩人の最果タヒちゃん)


いや、しかし、題名からして凄いよね、この本。
何って、『超』AI時代の生存戦略だからね、AI時代超えちゃってるからね、この本。

まぁ、2045年に迎えると言われているシンギュラリティを念頭に置いた時間感覚から来た題名だと思うので、その時点を考えるともう"超"AI時代だと思うんだけど、
3ヶ月前に『AI時代の人生戦略』って成毛さんの本が出たばっかだし!大概みんな、AI時代の人生戦略にも追いついてないし!笑

と、今までの話からお察しのとおり、とにかく落合陽一の思考は僕らの理解の遥か先を行っている。
それを念頭に読まないと、いかにもビジネス書もしくは自己啓発本らしい題名と体裁の本だけれども正直置いてけぼりくらうのだ。

内容は、落合さんが「本書を読む前に」という冒頭のまえがきで説明してくれていて、

「プロローグ」今後数年に渡るパラダイムの大枠

「第1章」ワークライフバランスからワークアズライフへの転換と、それに関わるマインドセットの転換点

「第2章」「第3章」個別トピック。前半の2パートを読み解く具体例

「エピローグ」これからの社会の展望と人間性の更新、現在の技術革新を俯瞰

となっていて、基本的にその通り。興味を惹いたら読んでほしいし、無理強いするにはちと内容がキツいかも。

ただ、ビギナーというか前提知識少なめでも読み易い読み方はあるかなと思っていて、個人的なおすすめの読み方としては、
エピローグ→プロローグ→1章→2章→3章
の順がいいんじゃないかと思う。

プロローグはこれまでの技術革新の前提無しに始まるので、それに付いていけるバックボーンという名の足腰が必要。

僕はとりあえず頭から読み始めてプロローグで少し足を取られたけど、勢いでそのまま後続の章に進んでいった。
だけど、エピローグ読んだ後に読み返したら頭への入り方が全然違ったので、"最初にエピローグから読めば良かったな"と思った。

具体的に言うと、楽観的シンギュラリティとテクノフォビアについて書かれている辺り。

エピローグに書かれているテクノフォビアに対する懸念など、著者のスタンス・背景を踏まえてないとどう受け取っていいか戸惑うし、
その後に続く「クリエイティブなことしろ説法」に対する著者の苛立ちをきちんと汲むのがちょっと大変。
その後の論旨にモロに繋がるとこだから、きちんと理解したい箇所だ。

ま、でもここをガチッと掴めればあとは流れに乗れる。知らない言葉や概念は調べたり、なんなら多少は読み飛ばしながら読めばいいと思う。
(読み飛ばしはダメかしら?)

恐らく細々した単語より、彼の思考の前提・立脚点があまりにも自分たちと異なっていて、普通のビジネス書・自己啓発本を読むつもりでいると面食らう、みたいな方が多いかもしれない。

いや、でもそこが彼の新しさであり、凄さ。
その立脚点を探って、思考をモノに出来るようにする事が一番のこの本の効用になる筈。

そう考えると専門的になり過ぎず、かと言ってイージーにもならず(前書きで「読みやすく書いた」とは書いているものの、やはりある程度のレベルは求められる)本当にちょうどいいテキスト。

デジタルネイティヴの一番の尖りに触れるには最適だと思う。何度か返す返す読んでモノにしたい。

まずはcakesの記事からでもいいと思うから、是非この落合陽一の思考に触れてほしいと思う。おしまい。

(2017.03.30 追記)
落合さん本人の動画による本書の解説があるらしいので、以下に貼り付け!



いやあ、なんというか本書の解説っつうか大分別の話してます!笑
ただ、AIによる労働の代替が進んだ結果として江戸時代の話が職業の細分化の観点で例に出ていたんだけど、この辺りについて、少し違う観点で思ってる事をつらつら書く。

AIによる労働の代替が進んだ結果として、恐らくみんな暇になるから、
今後はエンターテイメントが伸びていくだろうし、個人個人も遊び方を覚えないというような話をホリエモンとかが言っていて、この観点もすごく江戸時代的だなと思っている。

どういう事かというと、江戸を専門にする時代考証家の杉浦日向子が、確かなんかのエッセイで
「江戸時代の人たちは働く時間がものすごく短くて、気の向いたとき一日4時間とかしか働かず、あとはのんびり遊んでた」って書いてて。まあその結果、生産性は江戸時代を通して変わらなかったんだけどね、そういう価値観だった。

で、その価値観の産物として、旦那芸という言葉に代表されるような伝統芸能の素人遊びも多く行われて、エンターテイメントも裾野が広かったし、お金持っている人が芸人(現在の言葉だとエンタメ業界)にきちんとお金を落としてくれる時代だった。

(よく落語とかでも旦那様が謡だの茶道だの色々習い事する話があるじゃない。番頭や小僧もそれに倣ってやり始めたり。ああいう裾野の広さ)

僕はこういう雰囲気の江戸時代に対する憧れがかなりあって、
AIや今後の技術発展によって、職業の細分化(動画で出ていたのはそういう論点)だけでなく、遊び方も江戸時代的になればいいなぁというのが、
個人的な今後の社会に対する希望的楽観的な見通し and 願い。

…なんの話か分からなくなってきたけど、この動画は本書の直接解説というよりは、
いま僕がつらつら書いたような思考を思いめぐらせたりする補助線としておすすめ。

何やら6月あたりに別の新刊が出るようで、それに対する導入になっているという
話も動画には出ておりましたので、気になる方はその辺りも含めて聞いてみて下さい。

ほんとにおしまい。

2017年3月21日火曜日

【書評】『ブロックチェーン・レボリューション』:ブロックチェーンの概念と世界的動向を掴む最良の入門書



昨今流行りのブロックチェーン。
今や関連書が書店に並び、WEB、雑誌、テレビでもブロックチェーンという字面が踊っている。

「インターネットに比肩する技術」とまで言われるブロックチェーンについて、僕が初めて知識を得たのは、Wiredの特集だった。

「サトシ・ナカモトという正体不明の天才が公開した論文で、ブロックチェーンという分散型台帳の仕組みが提唱されていて、こいつが世界を変革するほどのすんごい可能性を秘めた技術」だという事をその時知った。

可能性の広がりに満ちた特集で、SFみたいな世界になってくっていう印象で、すんげぇなぁと思い、そこから興味を持った。

ただ、FinTechの流れでビットコインが取り沙汰されたからなのか、WEBや雑誌の特集で組まれるブロックチェーンの内容は、あくまで優れた新規技術の一つの様という切り取り方が強い印象だ。

ブロックチェーンが持つ潜在的な可能性の大きさや、それが持つ思想的な意味合い、そこから始まりつつあるムーブメントの話はあまり語られていなかったように感じた。

Wiredで垣間見て心に刺さったのは、まさにそういう部分だし、ブロックチェーンの可能性の大きさを考えると、ただの技術としてではなく、そういう背景も含めて理解しておく必要があると思った。

そういう本を探していく中で一番いいなと思ったのが、本書『ブロックチェーン・レボリューション』だ。


伊藤穰一だとか、スティーブ・ウォズニアックだとか、超有名人たちの折り紙付きで2016年に刊行された、正にブロックチェーンの可能性やムーブメントについて、未来への希望を込めた内容でまとめた決定版だ。

この本の素晴らしい所は、まさにブロックチェーンが持つ思想的なもの、可能性の大きさを、沢山のスタートアップ企業経験者や関係者のインタビューから浮かび上がらせている事だ。

この本を読んで、「こんなに沢山の人々が、こわなに多様な形で、ブロックチェーンを通した未来を描き、事業をやっているのか!」と驚いた。

FinTechに沸いている金融業界は勿論のこと、
IoTとの関連の話から交通、エネルギー、農業、医療・ヘルスケアなど多岐の業界が話題に上り、
スマートコントラクトや自立分散企業といった概念による企業・ビジネスの在り方の変革、
音楽やアートの世界の変革、果てはブロックチェーン民主主義まで言及されている。

その裾野の広さ自体も凄いが、各分野で実際に取り組んでいる人たちへのインタビューを通して、ブロックチェーンによるイノベーションを起こそうと日夜目論んでいるというのがありありと分かり、

「うわー、知らない所で世界はこんなに動いているのか!!」という目の覚めるような驚きがあるのが、この本の一番意義深い所だろう。

インタビュー・出展の脚注が20ページ超に渡る事からも、その取材量が目に見えるだろう。

という事で、まず読むなら絶対にこの一冊をお勧めしたい!!
正直、その大まかな概念は今やネットを見ればそこそこ分かるけど、取材を通してこの本に書かれた内容は、ネットじゃ他の本じゃなかなか見つからないのだ。

あとね、本書の解説をWiredの編集長が書いてるんだけど、これも趣向が凝らしてあっていい。

ブロックチェーン・レボリューションが出来るまでの歴史や、この本の意義をなかなか熱々に語ってくれている。迷ったらまずこの解説を読むのも手かと思う。

そいで、これを読んだ後、今流行りのビットコイン関連の話や、日本寄りの話題をさらいたくなったら、
いまや日本のブロックチェーン論の大家になりつつある、野口悠紀雄先生の本なんかを読むといいと思う。




おしまい。

2017年3月16日木曜日

【書評:番外編】ブルーバックス2000巻記念 小冊子:電子版も無料!科学技術の主なトピックを概観出来る良質過ぎる小冊子!

ちょっと今日は番外編として、無料配布冊子の話を。



さて、講談社ブルーバックスと言えば、泣く子も黙る科学系新書の草分けand大御所だ。

ド文系の僕だって名前は知っている。

最近、成毛眞の『AI時代の人生戦略 「STEAM」が最強の武器である』に影響を受けて、科学系の本に興味を持つようになってきた。(これはソフトバンク新書)



で、これまた成毛眞さん主催のHonz(新刊・ノンフィクション中心の書評サイト)を購読してるので、理系トピックを気にしてみてると、ブルーバックスの新刊が紹介された。

これだ。


そういう経緯でブルーバックスが頭に刷り込まれたので、会社帰り、ふらふら〜っと本屋のブルーバックスコーナーに行った。

そして、見付けたのが、コレだ。



「…な、なんじゃ、こりゃあ!!」

と、恐らく100万回以上は使われて"100万回生きたネコ"の余命も尽きんとするであろうベタすぎるクリシェも気にならない程に驚いた。
(もしかしてベタすぎて何人か読むのを止めたかもしれない。その人達よ、済まない…)

これは、1963年より刊行をスタートした講談社ブルーバックスの、2,000巻刊行記念で先日から発行されてる小冊子。
なのだが、いかんせん良質・豪華過ぎる。

本好きの方々の89.2%がそうだと言われているように(注:嘘です)、御多分に洩れず小冊子を集めるのが好きな僕だが、この良質・豪華さを兼ね備えたものは、とんと見ない。

これは、
 (コンテンツの良さ) ×(記念時で豪華に出来る)
という掛け算が成立したときだけ出来るものだ。

コンテンツが良いってのはあって、資生堂の「花椿」とか結構好きなんだけど、この掛け算はなかなかタイミングもあるし、なかなかござらん。

で、この小冊子の中身なんだけど、四つのパートに分かれている。それぞれ紹介していこう。


第1部 科学技術とブルーバックス2,000冊のあゆみ

ブルーバックスが生まれた1963年から現在まで、どういう科学技術が生まれていったかという変遷と、その時代時代に呼応したブルーバックスの代表的な本が、主だったニュースとともに通年史で紹介されている。

なんとブルーバックスが生まれた1963年は『鉄腕アトム』がアニメ放映された年で、来たる科学技術隆盛の時代を予見するようで象徴的だ。

主だったニュースなどと絡めて紹介されるので読み易く、「この時代にこういう技術、こういう本が生まれたのかー」というイメージを持てる内容になっている。
この通年史、マジで分かりやすくて文理問わず楽しめる。
早速「ブルーバックスの編集部、すげぇ」という敬意が湧いてくるパートだ。


第2部 特別エッセイ

ブルーバックスの著書を持つ著名人、ブルーバックスファンの著名人のエッセイを集めたパート。

もうね、面子が豪華過ぎる。

・2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠
・ベストセラーで超多作サイエンス作家の青木薫
・『生物と無生物のあいだ』の爆裂ヒットなどで知られる生物学者の福岡伸一
・『進化しすぎた脳』などで脳科学ブームの立役者の1人となった脳科学者の池谷裕二
・宇宙物理学者でインフレーション宇宙論提唱者の佐藤勝彦

などなど…

もう"泣く子も黙る"たぁこの事です。
「さすがブルーバックスさん、ロイヤルストレートフラッシュ炸裂でおまんなぁ」という錚々たる面々。

しかも当然、各著者がブルーバックスへの想いを寄せる書き下ろし。これは読むしかありませんぞ。

第3部 データでみるブルーバックス

歴代発行部数、21世紀の発行部数、歴代発行冊数などのデータをまとめたパート。

見てると歴代発行部数トップ10は全て20世紀のもの。「おー、なんか、科学離れって騒がれてたけど本当だなぁ…」って思っちゃう。

だって、1位が『子供にウケる化学手品77』なのはまだしも、
歴代3位が1966年初版『相対性理論の世界』で、発行部数63万部で発行刷数100刷だかんね。


とかとか、色々考えのヒントになるデータ集。

第4部 編集部が選ぶ30冊一気読み

編集部から2,000冊の中から「これは」という珠玉の30冊を選んだもの。

古くは1963年発行の記念すべき第1冊目『人工頭脳時代』から、
新しくは2015年発行のノーベル物理学賞受賞者である天野浩の『天野先生の「青色LEDの世界」』まで、
新旧幅広く入り乱れた本のチョイス。



この中でスゲェなぁと思ったのが、1965年発行の『計画の科学』が77冊で未だに絶版にならず発行され続けている事。半世紀以上だよ、初版から。


こりゃもう、自分が活版屋だったら、死ぬ間際に「オレが組んだ活版がとうとうオレより長生きしやがった。活版屋冥利に尽きる話だぜ…」と充実感に満ちることだろうよ。
"命尽き果て、身朽ち果つるとも、恐るるな。文字は未だ崩れ果てず。"と自分の墓石には打ちこむことだろうよ。凄いね。

ちなみに中味としては、プロマネのマネジメント手法とかで結構出てくるPERTを解説してるらしい。そんな昔からあるのね…


と以上の内容。
とても無料の小冊子を紹介するようなブログの量じゃなくなってしまったし、それは当然それだけこの冊子の内容が濃いから。
無料だし、とりあえず本屋、もしくは電子版を落として読んでみましょうよ。話はそれからだ。


おしまい。