2016年6月28日火曜日

書評『小さなユリと』黒田三郎:幼な子を持つ親御さんは、ハンケチをお忘れなく。

こんばんわ、どいけんです、いきなり本題です。

何というか、最近激しい詩があまり読めなくなってきた気がする。

吉本隆明の恋愛詩みたいな限界で屹立して読むようなものもちょっと食傷気味で、かといって金子光晴の手練れた感じもちょっと違うし、田村隆一の凜とした詩にもちょっと気持ちが追い付けないし、谷川俊太郎の言葉選びも感覚と合わない。
もっと観念的でない詩が読みたいなぁ、と思う事がふえた。

これはまぁ、感性が磨耗してきているのもあるかも知れないし、ただ単に疲れているだけかも知れないし、自分の価値観の中で実際的な物の価値というのが大きくなってきたのもあるだろう。

とにかく、そういう詩を求める精神状態の僕に「ほい来た」とばかりに飛び込んできたのが、黒田三郎の『小さなユリと』だ。



黒田三郎という詩人を知っている人は、これをあまりいないかも知れない。
黒田三郎は東大経済学部卒業後、NHKに勤務する傍らでずっと詩作を続けていた。

詩作の世界では有名だが、戦後の詩人はそもそもあまり教科書にも載らないし、
文学史的にも書かれることが少ないから、小説が好きで詩は奈辺をちょっとなぞった、
感じの人は知らないかもしれない。

谷川俊太郎、田村隆一、増岡剛造のような、THE 詩人という「存在そのものが詩人なんです」系の人でもなく、大岡昇平、吉本隆明のように、詩作以外にも著名な作品を残している人でもない。
サラリーマンをやりながら小説などは書かず、詩作だけを続けていた人だ。

そういう黒田三郎の書く、普通の市民生活に根差した眼差しで書かれる詩が凄く心地よかったし、ジワッと来た。

この『小さなユリと』は、黒田三郎の妻が結核で入院したときの、三歳の娘、ユリとの日々を綴ったもので、まぁ、正直自分の娘がもうすぐ三歳になるので、その境遇へのシンクロ率はかなり高い。

幼稚園に娘を送り、自身は遅れて仕事に出勤、仕事が終わると娘を迎えに行き、食事を作り家事をこなし、そのあと夜な夜な酒を飲む。

繰り返される毎日の中、あっという間に大きくなる娘の様子、二人だけで生活する時間というのは唯一性、情けない自分への苛立ち、そういうものに対する感傷的、かつ、自己卑下も含まれた言葉選びが堪らない。

この詩集だが、黒田本人、そして元々の出版社である昭森社にとっても大切な詩集だったらしい。
初版は1960年。それを去年、夏葉社が完全復刻した。
僕が今この詩集を手に入れれているのは夏葉社のお陰だ。
こんな素晴らしい詩集を復刻してくれたのは本当に有難い。

黒田自身にも思い入れがある理由として、この生活がひょんな事で突然終わりを迎えたから、というのも大きいと思う。
(理由は詩集のあとがきに書いてるから読んで。)
ふと終わってしまった限られた期間を凝縮したのがこの詩集だから、黒田自身も思い入れ深く、読み手にも切々と伝わってくるんだと思う。

あと、別冊の解説を萩原魚雷が書いてるんだけど、それもめっちゃいい。
魚雷さん、僕、大好きなんす。




詩集の紹介なのに一切詩の抜粋をしなかった。
ねらい、というよりは抜粋のしどころに困って、、、というのが正直なところ。
薄い詩集ですぐ読めてしまうし、あとがき含めて1冊まるまる読んで欲しい。
特に、ちっちゃな子を持つお父さんお母さんはもう、書店に駆けつけて頂くか、これはAmazonでも買えるので、ポチって頂くかしてほしい。
ノーガードだと、うるっときちゃうかもしんないです。
涙腺未開通と言われる僕でもちょっと「あぅ」っとしたとかしないとか諸説あります。

おしまい。 

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