2017年11月3日金曜日

【ちょい書評】『雨やどり』半村良:昭和の繁華街へのノスタルジー

今回のは書評というか、ちょっとした個人的な感想のメモに近い。

秋も深まってくると、少しノスタルジックな本が読みたくなる。
なので、例年秋がくると泉麻人の『おやつストーリー』を読み返す。
これを読み返して80年代のおやつと共に、当時の風俗・雰囲気を回顧する習わしが個人的にあるのだ。


だけど今年は何となく、半村良の新宿物が読みたくなって、
『雨やどり』を中古で買い直した。



戦後、60〜80年代の銀座、新宿。
経済成長とともに息を吹き返す銀座と、新興繁華街として勢力を高める新宿。
この2つの街を軸に繰り広げる惚れた腫れたの話。いかにもな感じなのだ。

半村良という作家を、最近の人はどれだけ知っているかってほぼ知らないんだろうけど、
この人が書く私小説風の世界観は、当時雑多だった新宿の雰囲気を伝えていてとてもいい。

「新宿なんて、他のところではちゃんとやれなかった半端もん達の集まるところ」なんて、いま聞いてもピンと来ないけど、当時新興の繁華街だった新宿には、そういう空気があったようだ。
バーテンやら何やら、数多の職業を点々とし、そういう場所に暮らしていた半村の描く小説にはそういう時代があったと思わせる説得力がある。

副読本としては、これ。


その時代の雰囲気がよく伝わってくる写真集、当時の、高層ビル群になる前の雑多な新宿の写真もある。

あと、半村自身は放送作家もしていたらしく、表題作の『雨やどり』もドラマ化されているようだ。なので、80年代辺りを描いた作品はどこかしらトレンディードラマ臭がしてくる。
雑多な街が徐々に整備され、みんな大人になり、経済成長で潤った時代の上で色恋して遊ぶ、という流れだ。

その辺りのいかにも感もまた味わい深く、昭和の懐深さを感じる。

ちなみにこの短編集で個人的に一番好きなのは"愚者の町"というやつだ。
上述した時代の雰囲気を存分に纏う、新宿の飲み屋で繰り広げられる話だ。
これは山田詠美が選出した短編集に収められていて、確か25歳位のときに読んだ。7,8年も前だ。



そんときはちょうど"二十五歳"という金子光晴の詩とかにハマってたり、詩集やら小説やらをやたら読んでいた。

最後、話が方々に飛んで収集ついてないけど、個人的なメモ書きだから、これでいいのだ。

「これでいいのだ」といえば赤塚不二夫の天才バカボンだけど、赤塚不二夫と聞くと何となく新宿と赤坂が思い浮かぶなぁと思っていたらそうそう、
赤塚不二夫とタモリとの出会いの場が、新宿2丁目にあった「ジャックと豆の木」だからか。
赤坂は、赤塚不二夫がタモリを居候させたマンションが赤坂にあって、家賃が当時17万だったって話だ。

あっ、また話が発散した…



おしまい。

2017年11月2日木曜日

『SHOE DOG 靴にすべてを。』フィル・ナイト:リリカルな文章で描かれるほんまもんの起業物語。

ナイキの創業者であるフィル・ナイトがその創業期から株式上場までを著した『SHOE DOG 靴にすべてを。』。


昨年(2016年)アメリカで原著が出た時から良書だと言われていたらしく、翻訳が待たれていた。

なにせあのウォーレン・バフェットが『2016年の最高の本。フィル・ナイトは天性のストーリーテラーだ。』というコメントまで寄せているのだ。

スポーツブランドの創業者に"天性のストーリーテラー"とはオーバーだと思うかもしれないけど、読み始めてすぐにバフェットの言葉は正鵠を得ている事が判る。

物語の始まりは1960年代初頭。
マリリン・モンロー、ジェームス・ディーン、エルヴィス・プレスリー、そんなアイコンに象徴される黄金の50年代の空気冷めやらぬ中、フィルは世界一周の旅に出る。
ヒッピームーブメントが本格的に訪れて、猫も杓子も自由を求め、旅に出るのがメジャーになるのはもう少し後の事だ。

そんな中スタンフォードでMBAを取得した秀才であるフィルは就職もせずに旅に出た。
本文では結構さらりと書かれているけど、当時、この選択肢は相当にクレイジーだったと思う。

そしてこの旅の描写できっと皆、フィルが天性のストーリーテラーだと納得する。
その様子は50年前の事だなんて夢にも思えないほど確かで、瑞々しい。若い感性であらゆるものを見聞きし、感じ、思考している。旅のお供はペーパーバックの『ライ麦畑でつかまえて』と『裸のランチ』。
それはまるで、若い作家がこの夏行った旅のエッセイを書いてるかのようだ。

でもそうじゃなくてこの本は、今や世界売上ナンバーワンのスポーツブランド"NIKE"の創業者、フィル・ナイトの半生記だ。
だから勿論この旅の中に、ナイキの始まりが書かれている。

フィルは旅の途中、日本でオニツカの本社を訪れる。西海岸におけるオニツカの代理販売権を得るためだ。これはフィルの旅の目的の一つだった。

ここで運良くなのか、ハッタリが効いたのか(まぁ、実際読むとこれがよく効いてるんだけど…)、代理販売店としてオニツカの靴を送ってもらえる約束をこぎつける。

そう、知らなかったんだけど、ナイキの始まりはオニツカの靴の代理販売店だったのだ。スポーツブランドは愚か、シューズメーカーですらなかった。そこから世界のナイキに成長していく。
この本にはその代理販売店としての始まりから、1980年の株式上場まで書かれている。

この旅から始まって、彼の文章に引き込まれたら、その後は株式上場までぐいぐいと読み進んでいってしまう事請け合いだ。

ただ、この本を読んでない人たちにとっては、こんなの"若者の向こう見ずな行動から全てが始まって、あれよあれよという間に登りつめていく成功譚"で、おきまりパターンの一つに過ぎないと感じるかもしれない。

だけどこの本は違う。
正確に言うと、事実としてはそうなっていくんだけど、ほんとにおきまりパターンの一つ程度の魅力しかこの本にないとしたら、こんな500ページを越える本なんて読めないし、話題にもならない。

この本が、そんなおきまりパターンには収まらないと思う理由は2つある。

一つは、あまりにフィルに"天性のストーリーテラー"としての才能があるから。彼の書く物語は終始喜び、悲しみ、葛藤、恥じらいなどの若々しさに溢れていていつまでも年を取らないし、教養も交えたウィットも含まれている。
リチャード・ファインマンのエッセイに感じるような瑞々しい感情のひだがいつも顔を見せていて、世界一周の旅に出た時の感性と同じままで、1980年まで時を運んでくれる。

もう一つは、500ページのどこを切っても同じようにフィルが全力でやり抜いていて、あれよあれよなんてどこにもないからで、これがこの本の肝だ。
やり抜いて何とか終わって、また何かが起こって、やり抜いて。するとまた何かが起こって、やり抜いて。それからまたやり抜いて、その後にまたやり抜いて、どうしようもない事が起きて無理そうになりながらもやり抜いて、また何かが起こってやり抜いてる。その顛末をずっと書いてある。

創業者としてスタートアップから始めるって事は、こんなにもやり抜いてやり抜いてやり抜かないといけないんだなと思う。
しかもこんなにやり抜いてる様を500ページも、飽きさせずに読ませる本なんてちょっと他に知らなくて、それがバフェットをして"2016年の最高の本"と言わしめたんだなと深く納得する。

"Just Do It"って、よくCMでもやってるけど、どんなアスリートよりもこの精神を持っているのがフィルなんだと思い、このスローガンにも妙に納得がいく。
まぁ、読んでるとフィル自身はむしろ"Just Do It and Do It and Do It and Do It and Do It and Do It!!"って感じだけど。

軽々しく「起業したいっす」とか言うのは簡単だし、結構最近多いけど(特にコンサル界隈(恥))、起業だのビジネスやるだのって夢?キャリアパス?を描く事があるならば、
ここまでやれる対象があるのかって話だったり、ぐずぐず言う位ならやれる事全部やれよって話だったり、結局その辺り、骨身を惜しまずに出来るかが一番大事なんだなというのがよく分かる。
分厚い物語を読み進めるので、頭でだけじゃなく、身体も伴って分かる。
ただ、文章が良いので、とにかくなんかやりてーって気持ちにもなる。
そういうアクセルにもブレーキにもなる罪な本だった。


おしまい。

2017年9月9日土曜日

『マチネの終わりに』平野啓一郎:よくある恋愛小説に倦んだ人に。



この本は恋愛小説というジャンルに括られる。

が、普通の恋愛小説、想い合う二人の果実が実って何らかの蜜月を過ごす(もしくは過ごした)話、を期待して読むと恐らくはぐらかされたような気持ちになるだろう

この小説で費やされるほとんど全ての二人の時間は、蜜月に焦がれる未来への期待と、うらはらに別の方向へ運ばれる現在と、実らなかった過去を振り返る思いに彩られる。

だから、僕らがいつも思い浮かべる恋愛小説というもののように事は運ばない。
むしろそれは、最近、恋愛小説と言われるものに倦んでいた僕としては新鮮だった。

主人公の薪野と洋子は40歳に差し掛かる"いい歳した"男と女だ。
 小説の中では5年の月日が流れるが、2人が会うのは、最初の1年間、そしてそれも3度だけだ。
1度目は出逢い、2度目は再会、3度目にやっと互いの想いが通じ合う。いずれもプラトニックな邂逅だ。

後の4年は全く会わない。会わないどころかお互い別々に伴侶を持ち、子供をもうけ、自分1人の問題で回収出来ないところまで、別々の人生を歩んでいく。

こんな2人を掴まえて恋愛だということ自体、傍目からみて、ちょっと無理がある。
ましてやその物語が『大人の恋愛小説』として話題になるなんていうのは、ちゃんちゃら可笑しい話としか思えない。いくらいい歳した男女の話だからって、それはないだろうと。

なのに読むと、恋愛小説としての質の高さを感じずにはいられない。しかもかなり奥深い。
その深淵が、普遍性を持つところまで深く深く入り込んでいるから、自分もこういう経験をした事があるのではないか、これからもし得るのではないかと思えてくる。

多分それは、現実における時の流れ方、それに対する2人の想いの変遷が、丹念に描写されているからだ。
互いに"最高の恋愛"だと思っていた瞬間とその記憶を、現実では別の方向に人生が進んでいく中、腐らせずにどう昇華させていくのかが描かれている。
その記憶を昇華させていく過程が深さと、普遍性を持っていると感じる。

また、2人を取り巻く人物のキャラクター、取り巻く環境もとても周到に準備されていて、主題はしっかりと捉えつつもストーリーとしても面白く、完成度の高いものなっている。

同世代の数多ある小説を思いながらこの小説のクオリティを考えたとき、「やっぱ平野啓一郎はすげぇーなー」とアホみたいに思った。

cakesで連載されていたのは知ってたけど、"恋愛小説"というフレーズで敬遠してたから、こんなに面白いなら早く読んどきゃよかったなと思った。

それに今読むのと、10年後に読むのと、20年後に読むのとでは、全く違うところでつぼに嵌まったり、感極まったりしそうだ。
そういう、再読する楽しみと怖みがある小説でもある。

おしまい。

2017年8月28日月曜日

【書評】『声をかける』高石宏輔:繰り返す「人との交われなさ」



この本は、ナンパを通してフィールドワークした本だ。
もっというと、ナンパを通して人との交われなさをフィールドワークした本だ。

だから、読んでもナンパ出来るようにはならないし、楽しい気分にもならないし、むしろイラついた気持ちとザラついた気持ちが少しずつ残る。


前作の良さと装画に惹かれて、400ページ、一気に読み終えてしまって、ザラつきやらなにやらが残ってしまって、誰かと共有したいけど誰に勧めたらいいかが分からない。

女の子に読ませても、ナンパ師に読ませても、非リア充男子に読ませても多分ちょっと嫌だなって思われそうな気がする。
リア充男子はそもそもこんなの読まない。

本の中で、著者はナンパを始める。
最初はクラブに来るのも初めてで、声のかけ方も分からなくてもどかしい。
それがある時、成功する。別の日に会って、お酒を飲んで、SEXして、付き合ったような関係になるけど結果、2人は交わらない。

その後もいろんな人に声を掛け続ける。
成功したりしなかったり、SEXしたりしなかったり、付き合ったり付き合わなかったりするけど結果、交わらない。

著者は半ば意識的に、相手だけでなく自分の心も観察対象にしている。
そしてどこかで、全て客観視している節がある。

だから、相応に長い付き合いになっても、相手の感情の深い部分を垣間見たとしても、お互いの心や、生き方が交わる前に覚めてしまう。
そしてまた、同じ結末になるとわかっていながら、次のフィールドワークに出掛けてしまう。

そんな中、「あー、この光景は生涯忘れないだろうな」みたいな、瞬間風速Maxの瞬間だけがいくつか通り過ぎていくのが切ない。

無理やり例えを考えてみると、
オールで遊んで、みんな別れて、酒も目もなんだか覚めてきて、ふっと「一人だな」って思ったりするような瞬間に似てる気がする。

それできっと、そもそもこの例えみたいな気分にならない人は読んでも「え、それで何?」みたいな感じになると思うし、そういう気分になる人は自分自身の女々しさだったり、煮え切らなさだったりが本書から垣間見える瞬間にイラついたりして心がザワつく。
そしてこの本は、構成、文章もまたザワつく。
小説にも、社会学の本にもなりきっていない。
文学に成り切ったなら私小説、
感情を殺し切ったなら宮台真司の社会学、
フィールドワークに徹し切ったなら岸政彦の社会学、そのどれにもなってないような本なのだ。
小説的なストーリー展開ではあるがどこか記録的だし、研究心はあるようだけどどこか卑俗的だ。

自分がなんでこんなにハマったのかを考えながらどういう本なのか書いたけど、
全然褒めどころも薦めどころも出せなかった。

「じゃあオススメじゃないんかい!」と言われてしまいそうだけど、いや、そうじゃなくて、

一言で語れないところに宙吊りされていて、男が読んでも、きっと女が読んでもザラザラしてしまう部分を残してしまう本というのが、他に類書が思い当たらず、この本の無二な部分なのだ。
だからこの本を読みたいときは、他のどれもダメで、この本でなくてはいけないのだ。

と、言い切ったところで再読してザラつこう。


おしまい。

2017年7月20日木曜日

【7/27まで無料公開!】宿野かほる『ルビンの壺が割れた』:新潮社の秀逸な新人作家認知度アップキャンペーン


何と発売前の小説を期間限定で全文公開しているのだ。


本作がデビュー作である無名&素性不明な作家の宿野かほる、
その才能を何とか世に知らしめようとして思い立ったのが今回の企画らしく、
無料で全文公開し、読んだ人から帯文に載せるキャッチコピー募集をしている。

いやー、しかしこれはいいキャンペーンだと思う。
時代の流れを汲んでいる。

キングコングの西野も自分の絵本を無料で公開していたけども(しかもなんか知らんけどかなり炎上してたし、別にいいじゃんねと思う。西野は好きでも嫌いでもないけど)
無料公開してまず読んでもらって認知度を上げるっていうのは、
コンテンツがしっかりとしていればかなり有効だと思う。

僕も今朝知って、早速読んでキャッチコピーに応募した。

かなり面白い小説だったし、オチが気になって仕方ないので止められず、夢中で読み終わった。

細かいレビューは書けないけども、
(それは新潮社がご法度にしている)
是非ともこの期間に読んでみて欲しいので、
ここで紹介する次第。

あまり長くもないから、
1〜2時間もあれば読めちゃうし。

刊行は8月らしいので、刊行されたらレビュー追記するかも。まぁ、オチを書いては終わりなので、そこは書かないが。

しかしこの作家、どこまで認知度が広がるかしら。
そして、長編とか書いたら読みたいな。


サクリとおしまい。