2016年4月19日火曜日

書評:ホリエモンの熱いお節介が村上龍とダブってきた『君はどこにでも行ける』

ホリエモンのこの本とか、関連するインタビューを読んでいると、「あいつ、昔は相当なワルだったのに、アキちゃんと結婚してガキも産まれて、すっかり丸くなりやがって…」という国道沿いの食べ放題2,280円を囲むいい歳こいたマイルドヤンキーの周りで5万回位繰り返されてそうな情景がちょっと頭を掠める。



要は「若い時、散々好き放題やった兄ちゃんが、いい年になってすっかり丸くなり、面倒見が良くなった。」という感じだ。

ホリエモンは実際ある人に「堀江さんは最高のお節介ですね」と言われたことがあるそうで、この本もそういった気持ちで日本という国と人々を本気で憂うホリエモンが随所に感じられた。

ライブドアで鮮烈に日本のビジネス界にデビューして、『稼ぐが勝ち』だの「サラリーマンは現代の奴隷階級」だの扇動的な言葉を放って一躍有名になって選挙、ニッポン放送の買収と試みるも逮捕され、刑期を終えて現在に至る。
言葉のキレや炎上っぷりは変わらずだけど、最近の本やインタビューを見てると、何となく「あー、この人は本気で日本の事心配してるっぽいな」と感じた。

「何となくこのスタンス、どっかで読んだような記憶が…」と思っていたら思い出した。そう村上龍だ。

村上龍の名前を知る人も、初期の小説を読んだことない人からしてみると「ああ、『13歳のハローワーク』ね」「『カンブリア宮殿』ね」位なもんだろうが、どっこい待て待てだ。

デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』では麻薬、乱交、ヒッピーなどなどてんこ盛りの超話題作で芥川賞をかっさらい、今も続く「すべての男は消耗品である」というエッセイなんか、初期は「ブスは幸せになれない」だの「汚い格好のカップルは景観の邪魔だからイルミネーションなんか見に来んな」だの、散々な事を言っていた。

    

 それが90年代から経済の話をするようになって、いまや日本を憂いまくるおじさんだ。

分かり合える人がいるのか全く自信がないが、この奔放っぷりからの国と若者を憂うおじさんへの傾きっぷり、同じ変遷を辿り初めている気がしてならない。

村上龍はもうエッセイも小説もその匂いが染み付いて取れない。
もちろん、それ自体は大変有り難くて良い事書いてあるんだけど、正直読み物としては面白くない。
あの、”キューピー人形がたらいで行水したみたいにあっさりしたセックス”っていうぶっ飛んだ描写を書いた人はどこへ?
お国の事はとりあえず良いから、そういう誰も書かない小説を書いて欲しいですよ、元ファンとしては。

それで、この本自体は凄い良くて、熱い、タメになる内容だったんだけど、それゆえに今後ますますホリエモンの国の憂いぶりは加速するんじゃないかと不安。
だからどうか憂うる事はそこそこに、ビジネスだけ見てぶっ飛んだやつ展開して欲しいです。
だから宇宙事業とか結構期待してる。国を憂うる事に貴重な才能を費やす事だけはして欲しくない。
(まあ、こっちこそ余計なお世話、ではあるが・・・)

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