2017年9月9日土曜日

『マチネの終わりに』平野啓一郎:よくある恋愛小説に倦んだ人に。



この本は恋愛小説というジャンルに括られる。

が、普通の恋愛小説、想い合う二人の果実が実って何らかの蜜月を過ごす(もしくは過ごした)話、を期待して読むと恐らくはぐらかされたような気持ちになるだろう

この小説で費やされるほとんど全ての二人の時間は、蜜月に焦がれる未来への期待と、うらはらに別の方向へ運ばれる現在と、実らなかった過去を振り返る思いに彩られる。

だから、僕らがいつも思い浮かべる恋愛小説というもののように事は運ばない。
むしろそれは、最近、恋愛小説と言われるものに倦んでいた僕としては新鮮だった。

主人公の薪野と洋子は40歳に差し掛かる"いい歳した"男と女だ。
 小説の中では5年の月日が流れるが、2人が会うのは、最初の1年間、そしてそれも3度だけだ。
1度目は出逢い、2度目は再会、3度目にやっと互いの想いが通じ合う。いずれもプラトニックな邂逅だ。

後の4年は全く会わない。会わないどころかお互い別々に伴侶を持ち、子供をもうけ、自分1人の問題で回収出来ないところまで、別々の人生を歩んでいく。

こんな2人を掴まえて恋愛だということ自体、傍目からみて、ちょっと無理がある。
ましてやその物語が『大人の恋愛小説』として話題になるなんていうのは、ちゃんちゃら可笑しい話としか思えない。いくらいい歳した男女の話だからって、それはないだろうと。

なのに読むと、恋愛小説としての質の高さを感じずにはいられない。しかもかなり奥深い。
その深淵が、普遍性を持つところまで深く深く入り込んでいるから、自分もこういう経験をした事があるのではないか、これからもし得るのではないかと思えてくる。

多分それは、現実における時の流れ方、それに対する2人の想いの変遷が、丹念に描写されているからだ。
互いに"最高の恋愛"だと思っていた瞬間とその記憶を、現実では別の方向に人生が進んでいく中、腐らせずにどう昇華させていくのかが描かれている。
その記憶を昇華させていく過程が深さと、普遍性を持っていると感じる。

また、2人を取り巻く人物のキャラクター、取り巻く環境もとても周到に準備されていて、主題はしっかりと捉えつつもストーリーとしても面白く、完成度の高いものなっている。

同世代の数多ある小説を思いながらこの小説のクオリティを考えたとき、「やっぱ平野啓一郎はすげぇーなー」とアホみたいに思った。

cakesで連載されていたのは知ってたけど、"恋愛小説"というフレーズで敬遠してたから、こんなに面白いなら早く読んどきゃよかったなと思った。

それに今読むのと、10年後に読むのと、20年後に読むのとでは、全く違うところでつぼに嵌まったり、感極まったりしそうだ。
そういう、再読する楽しみと怖みがある小説でもある。

おしまい。