2016年7月22日金曜日

与太:『人生に、文学を。』の件について、思うところを書いた。(追記あり)

どうもどうも、移動図書館管理人兼紙芝居師のどいけんです。本日は書評ではなくて、絶賛炎上中の件について、思うところを書こうと思います。(心中乱れております。)

さてさて、芥川賞直木賞が発表されたなと思った矢先に、これです。

画像は「人生に、文学を。」特設ページのものを引用。

文藝春秋と日本文芸振興会(芥川賞直木賞を主催)が主催で、
「文学に親しむすばらしさを広く伝えることを目指す。」という目的と、サイトの開設を7月20日に発表したところ、巷では早速火種がバンバン上がっているようで…。

検索かけるとこのサイトよりも炎上記事が検索結果の上に来るという、本末転倒状態。笑




で、見てみたんですが、なんだろうよ、このサイト、正直意味が全く分かんないっす。
炎上気味なので、最初何とか全面擁護する方法は無いかと考えましたか、無理でした。


(アニメか?)の件は、リンク先を見てもらったり、ネットでちょっと探してもらうと色々出ているのだけど、散々話題になっているのでここでは深くは触れません。今やアニメの方が多くの人に影響を与えているのは周知の事実だしね。経済効果もケタ違いでしょ、恐らく。
このサイトに書いてある事でアニメじゃ出来ない事なんて一個も無いと思います。


そう、で、趣旨が全くの意味不明。考えてみたんだが意味不明過ぎて苛ついて来てしまったので思ったことを書く。

まず、本当に文学が好きな人が、「みんな、こんなに面白いんだから読もうよ!」っつって、真剣に考えた企画とは思えない。こんなん新聞の社説みたいに誰に宛ててる言葉なのか全く判らんし、小説なんて正直、自分の名前と責任で「これが面白い、だから読め」って言い切る位じゃないと読んだことない人を読む気になんかさせらんないよ。

本当に「文学に親しむすばらしさを広く伝えることを目指す。」つもりなのであれば、例えば『誰々が薦める、絶対読むべき小説10冊』とかリスト作って、10,000冊とかを配るのはどう?
もっと言うと、それを全部kindleに入れて10,000台とか配る。
そうすることで読みたい人の手元に本が届くじゃない。その方が目的に対して直接的だし、kindleとか配れば相当話題性も高いと思うんだけど。
(まぁ、それで漫画しか読まない、みたいな人も相当する居るかもしんないけど、皆が皆、そんなにハマるわけじゃないし、ある程度は致し方無い)

錚々たるスポンサーがいるんだから、(じゃないかも?「賛同します」としかサイトに書いてないし。いや、でもオトナの賛同ってお金出してナンボじゃないですか)文学読めって思ってるなら、スポンサーから集めた資金で本そのものを渡せよって思うんだけど。

それに、本なりkindleなりを用意すれば、作家にも印税が入るじゃない。
そしたら、その作家は多少お金の心配を忘れて次の作品書けるかも知れないじゃん。絶対読むべきという小説を書ける人なんだから、次回作を書くためにプラスになる事も出来たら一石二鳥でしょ。


あとは、芥川賞直木賞の主催してるんだから、メセナ的に候補者何人かに援助して作品書かせるとかやったら、候補者の次作品が賞をとるのか、とかも含めて、芥川賞直木賞に注目が集まると思うんだよね。あとはもうそろそろ話題性のある新しい賞作っちゃうとかね。


ただ「ティーチイン・イベントします(誰が来るかはわからないけどな)」っつって大学で参加者募って作家と文学の素晴らしさを話すだけなんてさ、間口広がるわけないでしょ。元々その作家のファンとかが行くだけに決まってるじゃん。それを新聞と文藝春秋に載せたからって本気で「広く伝わる」と思ってんのかね。
(いや、もう、日本のメディアにこんな事言っても仕方ないってのも分かってるんだけどさ・・・)

このままだとホント、「結局内輪ウケじゃん」「出オチで炎上しただけじゃん」「こんな程度しか考えられないオツムなら文学なんて読む必要ねぇーじゃん」って思われるのがオチだから、もう、勘弁して欲しいっす。

あと、サイトに書いてある言葉も、全く想像力も感じられなければ文学広めたいって思いも感じられない…。
男の落魄。女の嘘。行ったことのない街。過ぎ去った栄光。って、どんだけ古い紋切り型なんだよって。笑
広告代理店のサラリーマンがコピーライター養成講座通りに書いたのか、もしくはどっかのお偉いさんが50年前のこと思い出して書いたのか…。
いや、むしろAIにでも書かせたのか?にしてももうちょいマシなデータ食わせて書かせろよって思ってしまうんだけど…


はぁ…。取り乱しておりますが、本好きですんで、何かひとごととして見れずガックリ。
自分でも読んだ本を取り上げて紹介しているという意識もあるし、これだけ炎上してる火事場を、無視して通り過ぎることは出来ずにつらつら思いの丈を書きました。。。


まぁ、この件で、こないだ芥川賞を取った『コンビニ人間』を紹介する気持ちが若干萎えたけど、村田さんの小説は気になっていたので、それはそれとして、折をみて紹介しようと思います。

おしまい。


【追記】(7/21 1:20)
ちなみに、この文章自体を肯定する意見で面白いものを見つけたのでそれもリンクを貼っておく。

姫呂ノート『「人生に、文学を。」がプロの仕事だと思う理由〜あるいは「広告」と「思想の自由」について』

このブログを書いた方の意見はよく分かるし、この見方だと「何か怒ってる自分、煽られて載せられちゃてますやん」的な側面が透けて見えるようになる。けど、それでも僕個人としては煽られてなんぼだし(現にエントリーが1本増えた)、「嫌なものは嫌なんじゃい!!」という個人の嗜好、好き嫌い丸出しの(自称)内田百閒スタイルでいくつもり。


おしまい PartⅡ。

2016年7月8日金曜日

書評『うわさと俗信』常光徹:元祖「都市伝説」フィールドワーカーの回想録




シブーい装丁、タイトルのこの本。
なんと家の近所のAEONで見つけました。

ベストセラーや話題の小説が平積みで顔見せされている書棚の中、ポツンと、
若者に紛れる初老の男性のような佇まいで置いてありました。

それがたまらなく目を惹いたので手に取って奥付を見てみると何と1997年に出された本の再版。
しかも再版の言葉も本の見開き一つほど。

「なんで、こんなもん仕入れたんだ…」とまぁ、頭に?が浮かびまくりの状態だったんですが、とりあえず続いて目次を眺めてみる。

後半はまぁ装丁、タイトルから予想される通り、
「親指と霊柩車」とか「ホウキをまたぐな」みたいな俗説の話が書いてある。

気になったのは前半。
口裂け女、トイレの花子さん、人面犬、紫の鏡、消えた乗客、ピアスの穴から…等々。

「いやー、懐かしいなー、この手の話」という興味に、
「あら、このおじさんこんな一面があったのね…」AND「AEONの本屋でこんなん見つけちゃったよ」という
二重に予想を裏切られたことで拍車がかかって買ってしまった。

まえがきを読んでいくと著者の常光さんは学校の先生の傍らでフィールドワーク的に、
生徒や先生から現代(当時の)の噂を聞き集めていたらしい。今は民俗学の結構お偉いさん。
で、それがちょうど口裂け女や、トイレの花子さんだとかが噂として流れた頃で、そういう内容だったのだ。

"学校の怪談"というと個人的にはすっごく懐かしくてたまらん。
僕は小学生の頃、怖い話にハマっていて、そういうマンガだとか本だとかを買っては読み漁っていた。
(母親もそういうのが好きだったので、割りと欲しい本は買ってくれた。)
中でも、講談社KK文庫から出ていた『学校の怪談』シリーズは片っ端から読んでいた。


買った後に知って驚きだったのは、「小学校の時に見たラインナップが結構出てるなぁ」と思って見ていたら、何を隠そう『学校の怪談』シリーズの著者が常光さんだったのだ!
「おーいおい、全然気づかなかった先に言ってよ、そしたらもっと迷わず買ったのに」って思ったのだが、まぁ無事に手に入れたから良し。


で、内容としてはエッセイで、うわさの内容を簡単に記しつつ、
当時の時代状況だとか、回想だとかが入って非常にマイルド。
まあ、民族学的な目線でフィールドワークの一環としてこういう現代のうわさ、
今で言うところの都市伝説を集めたので、怖いという感じはない。

こういう都市伝説が騒がれる以前の話を収集してる人ってほとんど居ないので、
この本は興味ある僕にとっては棚ボタ的な非常に良著だった。

で、中身を読むと、回想的な内容に引きづられて結構色々思いを馳せちゃう。

例えば、口裂け女とかって1979年(昭和54年)に話題がガツッと出たらしい。

これって時期としては、高度経済成長期も一段落して、郊外に大型団地とかがガンガン建って、
これからバブル、受験戦争最盛期に向かう時期。

昔ながらの地域のコミュニティが崩壊して、新しいコミュニティが生まれ、
多くの核家族(これも新しく増えた家族形態)の人たちは、新しい人間関係を構築しないといけない。

更に、高度経済成長でモーレツに生活向上だけ求めていくフェーズが一旦終わり、次の波が来はじめている。

そういう中での不安が色々と合わさった時期に得体のしれない怖い存在の象徴のように口裂け女が出てきてメディアで騒がれたってのは、結構時代背景から見ても面白いなぁとか思った。


あともう一個、面白いなと思ったのが、主に俗信についての話で、
例えば「夜爪を切ると親の死に目に会えない」とか「霊柩車を見たら親指隠す」とかある。
で、それに大して常光さんは本書の中で、
「現代の子供たちも、こういう俗信をその由来は分からなくとも無意識に信じて避けていたりする。
時代は変わってもそういう俗信が残るもんだなぁ」とかって言ってる。

これ、もういま通用しないと思う。

この本が書かれた1990年代に小学生だった子どもたち(僕とかもまさにそう)にとっては、
まだこういう迷信って結構身近にあったのが実感としてわかるけど、
もう今の子供達とかもう全然そんなの実感として無いんじゃないかなって思う。

再版されるまでの20年という月日のギャップが感じられるところで、
また別の楽しみ方として面白かった。


なんか今回は自分の好きな通りおしゃべりしただけ、みたいな内容になってしまった。。。
とはいえ、これから夏真っ盛りですので、この『うわさと俗信』だったり『学校の怪談』、
暑くて眠れない夜のお伴にいかがでしょうか。

ちなみに『学校の怪談』シリーズは個人的に2〜4が一番油のってて面白いと思う。
結構ほんとに怖いのもある。(しかもKindle版出てるし、、、買お。)


おしまい。


P. S. ちなみになんでこの本がうちの近所AEONに平積みされていたかは、分からずじまいだった。

「もしや常光さん南砂の学校で教えてたの?」って思って調べたけど、
教鞭を執っていたのは普通に練馬区と文京区だったし。(我ながら、よう調べたな・・・)

でも郊外のスーパーの本屋とかって、こういうワケ分かんないチョイスたまにあるよね、とも思うし、結構そういうの見つけるのが面白かったりして個人的にも好きだったりするのでアレなんだが・・・

2016年7月6日水曜日

書評『人工知能は人間を超えるか』松尾豊:"電気羊の夢"の前に、人工知能の夢と現実を。

最近、FinTechとかIoTと同様、Deep Learning(以下「ディープラーニング」)ってよく聞くようになったなぁと思ってた。
それとは別口で、よく本屋に平積みで人工知能関連の本があるなぁとも思ってた。
それとはまた別の文脈で、機械学習ってなんじゃらというのも気になってた。

で、機械学習の事を調べていくとどうやらその辺り、同じ界隈の話をしているらしい。
(無知なんで、ディープラーニングとか機械学習とか人工知能とかって繋がってなかったんですよ…恥)

そうかそうかと合点で、「なんかその辺の入門に丁度いいやつないかしらね、おお、あの平積みになってたやつ、分かりそうな感じやんけ」と思って手にしたのが本書。
Kindle版が割引で安かったので、Kindle版をGetしました。
(875円になってて更に175ポイント還元されるので実質700円、紙の本の約半額という。。。いつまで安いかは不明。画像からAmazonに飛べます。)



人工知能を知らない人にも分かるよう、その歴史、現在の状況、そして展望を第一線の研究者である松尾豊さんがまとめたのが本書。
ちなみに女の子の絵はポップさ醸し出してるけど中身は真面目。女の子関係ない。

内容のベースとなったのが、経済産業省の西山審議官(当時)から「素人にも分かるように人工知能の説明をしてほしい」と言われて作成したプレゼンテーションなので、専門的な事を全然知らん僕にもとても分かりやすかった。

構成は大きく3つ、
・人口知能について、今どういう研究がされているか、それを踏まえて本書をどう読んだら良いかのイントロダクション
・人工知能の黎明期(第一次ブーム)から、第二次ブーム、そして第三次ブームとしての現在までの歴史と人工知能の説明
・今後の展望と、僕らの暮らしはどうなるのか、そして、人工知能は人間を超えるのか、の著者の意見とまとめ
に分かれている。構成も明快なんです。

で、ここではその中からピックアップして、人工知能自体の説明、人工知能の発展、についてそれぞれ印象に残ったことを紹介します。


1. 人工知能自体の説明

人口知能が出来ることのレベルを「アルバイト・一般社員・課長・マネージャー」という比喩で表現していてそれが超分かりやすい。
ちょうど各レベルが各ブームの人口知能で出来るようになったことに該当していて、歴史的な進歩も感覚的に概観がわかるのでそれぞれ紹介します。

【アルバイト】厳格なルールを管理者が決めて、その通りに単純作業する。荷物の縦横高さだけで大中小を判断して動くバイト君、のニュアンス。
該当するのは、家電等にみられる半ばマーケティング的な狙いも込めて「人工知能」と謳っているもの。学術的には人工知能というより単なる制御プログラム。

【一般社員】同じく縦横高さ重さ等で仕分けるように支持されているが、荷物の種類に応じて沢山の知識がインプットされており、その通りに作業できる。(例:天地無用は上下逆にしない、割れ物注意は丁寧に扱う)
これが第一次ブーム(知識量次第で第二次ブーム)で研究された探索・推論などに該当。

【課長】幾つかのサンプルと正解(「この大きさは大だよ」、とか)が与えられてそこからルールを学んだら次からは自分で「これは大」「これは中」とか判断する。
第三次ブームの嚆矢となった機械学習がこれに該当。

【マネージャー】幾つかのサンプルから特徴を見出して自分でルールを規定し、判断。「これは大だけど細長いから別に分けよう」とか自分で決める。
現在騒がれているディープラーニングはこれに該当。

どうです?すげぇ分かりやすくない?この説明ほんとに分かりやすいなと思ってちょっと感動したよ。
まあ、素人にも分かるようにものすごく簡略化した説明だとは思いますが、スッと入ってきた。
これが第一章にあってその後に二章以降で歴史を追っての説明になるという構成も読みやすい。

そして、「ってかマネージャーまで出来るようになってるんだ、やべぇな、どうするよ人間。」って思った。のが2つ目に繋がります。


2. 人工知能の発展

書名にもなっている「人工知能は人間を超えるか」という問いについては、松尾さん自体は「現時点ではNO」という立場なんですが、
ただ「超えはしないけど代替できるものは沢山ある」というのが明確に書かれています。で、僕にとってはこの内容はかなり衝撃的でした。

「あと10〜20年でなくなる職業・残る職業」というのが紹介されていて、1.で述べた通り、
最新の研究ではもはやルール作りまで自分で出来るようになってきている人工知能の現状を踏まえると、リアリティが半端じゃない。
だってマネージャーまで出来るんだもんね、そりゃ仕事代替できるよね、という感想。

ただ、当然代替できるものとそうでないものがあって、人とコミュニケーションを取るサービス業、サンプル数が少なくてその場その場で特有の判断(経営判断とか)を下す必要があり経験が必要な職業などは代替が難しいようです。まぁ、そういう仕事って人間だって誰でも出来るわけじゃないよね。。。

なので個人的には、
蓋然性が高いか低いか分からない、「人工知能が人間を超えて進歩して、果てはユートピアかディストピアか」みたいな話よりも、
蓋然性が高い「仕事取って代わられちゃう」って話の方が切実だし怖ぇーな、って思いました。


類書で同じ出版社で『人工知能は私たちを滅ぼすのか』というのが出ています。



2冊セットのような装丁・趣きなので、「人工知能は人間を超えるか」というという問いに対して「Yes」って答えてるのかもしれないですね、こちらは。未読なので予想ですが。


というわけで、
「人工知能界隈知りたいが何から読んだらいいのかわからん!」とか、「ディープラーニングってバズワードは何さ!?」とか、「SF大好き!!」というような方にはオススメの本です。



おしまい。