2017年3月29日水曜日

【書評】落合陽一『超AI時代の生存戦略』:デジタルネイティヴ最先端の思考を体感しよう!(動画追加・追記あり)



落合陽一という人を知ったのは去年の年末くらい。

成毛さんの本(下のリンクの本)の推薦書に『魔法の世紀』が載っていて、紹介文に
1987年生まれの著者は 、筑波大学情報学群情報メディア創成学類卒 、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了で 「現代の魔法使い 」と呼ばれている研究者だ。
と書かれていた。

     

で、

若いし、"メディア創成学類"って謎だし、「現代の魔法使い」だし。
とにかくわけわかんなくて、物凄く興味を惹かれて、注目するようになった。

それからは、NewsPicksとかを中心にインタビューとか色々読んでいるけど、これまた正直わっからん。
一般的なテーマに沿ったインタビュー(例えば就活とか)だとまだ分かるんだけど、
著者自身の研究の話とかになると結構マジで分からん。

当然、凄いのは分かるんだけどね、仕組みが分からなすぎてマジックなんだよね。まさに魔術師。

これとか。二次元のディスプレイなんだけど触ると心臓みたいにどくどくする、みたいのとか。

落合陽一はいかにして、「魔法使い」になったのか(cakes: 「21世紀の変人たち」とする、「真面目」な話)

あと、これ人柄を表してるインタビューでいいなと思ったやつ。
物質嫁の良さを『解像度が高いし、性能が高い』みたいな事言ってるのとかね、実質嫁と比較したりして。

でも「いい奴なんですよね、嫁」みたいな、エモい事言ったりする。


なんか若いしぶっ飛んでるし『うっわ!遂にこういう人出て来たんだ』っていうので、見つけて嬉しかったのが、落合さんです。

同世代で現在形、かつ、出た本全部読みたいって思う、数少ない人です。
(あとは詩人の最果タヒちゃん)


いや、しかし、題名からして凄いよね、この本。
何って、『超』AI時代の生存戦略だからね、AI時代超えちゃってるからね、この本。

まぁ、2045年に迎えると言われているシンギュラリティを念頭に置いた時間感覚から来た題名だと思うので、その時点を考えるともう"超"AI時代だと思うんだけど、
3ヶ月前に『AI時代の人生戦略』って成毛さんの本が出たばっかだし!大概みんな、AI時代の人生戦略にも追いついてないし!笑

と、今までの話からお察しのとおり、とにかく落合陽一の思考は僕らの理解の遥か先を行っている。
それを念頭に読まないと、いかにもビジネス書もしくは自己啓発本らしい題名と体裁の本だけれども正直置いてけぼりくらうのだ。

内容は、落合さんが「本書を読む前に」という冒頭のまえがきで説明してくれていて、

「プロローグ」今後数年に渡るパラダイムの大枠

「第1章」ワークライフバランスからワークアズライフへの転換と、それに関わるマインドセットの転換点

「第2章」「第3章」個別トピック。前半の2パートを読み解く具体例

「エピローグ」これからの社会の展望と人間性の更新、現在の技術革新を俯瞰

となっていて、基本的にその通り。興味を惹いたら読んでほしいし、無理強いするにはちと内容がキツいかも。

ただ、ビギナーというか前提知識少なめでも読み易い読み方はあるかなと思っていて、個人的なおすすめの読み方としては、
エピローグ→プロローグ→1章→2章→3章
の順がいいんじゃないかと思う。

プロローグはこれまでの技術革新の前提無しに始まるので、それに付いていけるバックボーンという名の足腰が必要。

僕はとりあえず頭から読み始めてプロローグで少し足を取られたけど、勢いでそのまま後続の章に進んでいった。
だけど、エピローグ読んだ後に読み返したら頭への入り方が全然違ったので、"最初にエピローグから読めば良かったな"と思った。

具体的に言うと、楽観的シンギュラリティとテクノフォビアについて書かれている辺り。

エピローグに書かれているテクノフォビアに対する懸念など、著者のスタンス・背景を踏まえてないとどう受け取っていいか戸惑うし、
その後に続く「クリエイティブなことしろ説法」に対する著者の苛立ちをきちんと汲むのがちょっと大変。
その後の論旨にモロに繋がるとこだから、きちんと理解したい箇所だ。

ま、でもここをガチッと掴めればあとは流れに乗れる。知らない言葉や概念は調べたり、なんなら多少は読み飛ばしながら読めばいいと思う。
(読み飛ばしはダメかしら?)

恐らく細々した単語より、彼の思考の前提・立脚点があまりにも自分たちと異なっていて、普通のビジネス書・自己啓発本を読むつもりでいると面食らう、みたいな方が多いかもしれない。

いや、でもそこが彼の新しさであり、凄さ。
その立脚点を探って、思考をモノに出来るようにする事が一番のこの本の効用になる筈。

そう考えると専門的になり過ぎず、かと言ってイージーにもならず(前書きで「読みやすく書いた」とは書いているものの、やはりある程度のレベルは求められる)本当にちょうどいいテキスト。

デジタルネイティヴの一番の尖りに触れるには最適だと思う。何度か返す返す読んでモノにしたい。

まずはcakesの記事からでもいいと思うから、是非この落合陽一の思考に触れてほしいと思う。おしまい。

(2017.03.30 追記)
落合さん本人の動画による本書の解説があるらしいので、以下に貼り付け!



いやあ、なんというか本書の解説っつうか大分別の話してます!笑
ただ、AIによる労働の代替が進んだ結果として江戸時代の話が職業の細分化の観点で例に出ていたんだけど、この辺りについて、少し違う観点で思ってる事をつらつら書く。

AIによる労働の代替が進んだ結果として、恐らくみんな暇になるから、
今後はエンターテイメントが伸びていくだろうし、個人個人も遊び方を覚えないというような話をホリエモンとかが言っていて、この観点もすごく江戸時代的だなと思っている。

どういう事かというと、江戸を専門にする時代考証家の杉浦日向子が、確かなんかのエッセイで
「江戸時代の人たちは働く時間がものすごく短くて、気の向いたとき一日4時間とかしか働かず、あとはのんびり遊んでた」って書いてて。まあその結果、生産性は江戸時代を通して変わらなかったんだけどね、そういう価値観だった。

で、その価値観の産物として、旦那芸という言葉に代表されるような伝統芸能の素人遊びも多く行われて、エンターテイメントも裾野が広かったし、お金持っている人が芸人(現在の言葉だとエンタメ業界)にきちんとお金を落としてくれる時代だった。

(よく落語とかでも旦那様が謡だの茶道だの色々習い事する話があるじゃない。番頭や小僧もそれに倣ってやり始めたり。ああいう裾野の広さ)

僕はこういう雰囲気の江戸時代に対する憧れがかなりあって、
AIや今後の技術発展によって、職業の細分化(動画で出ていたのはそういう論点)だけでなく、遊び方も江戸時代的になればいいなぁというのが、
個人的な今後の社会に対する希望的楽観的な見通し and 願い。

…なんの話か分からなくなってきたけど、この動画は本書の直接解説というよりは、
いま僕がつらつら書いたような思考を思いめぐらせたりする補助線としておすすめ。

何やら6月あたりに別の新刊が出るようで、それに対する導入になっているという
話も動画には出ておりましたので、気になる方はその辺りも含めて聞いてみて下さい。

ほんとにおしまい。

2017年3月21日火曜日

【書評】『ブロックチェーン・レボリューション』:ブロックチェーンの概念と世界的動向を掴む最良の入門書



昨今流行りのブロックチェーン。
今や関連書が書店に並び、WEB、雑誌、テレビでもブロックチェーンという字面が踊っている。

「インターネットに比肩する技術」とまで言われるブロックチェーンについて、僕が初めて知識を得たのは、Wiredの特集だった。

「サトシ・ナカモトという正体不明の天才が公開した論文で、ブロックチェーンという分散型台帳の仕組みが提唱されていて、こいつが世界を変革するほどのすんごい可能性を秘めた技術」だという事をその時知った。

可能性の広がりに満ちた特集で、SFみたいな世界になってくっていう印象で、すんげぇなぁと思い、そこから興味を持った。

ただ、FinTechの流れでビットコインが取り沙汰されたからなのか、WEBや雑誌の特集で組まれるブロックチェーンの内容は、あくまで優れた新規技術の一つの様という切り取り方が強い印象だ。

ブロックチェーンが持つ潜在的な可能性の大きさや、それが持つ思想的な意味合い、そこから始まりつつあるムーブメントの話はあまり語られていなかったように感じた。

Wiredで垣間見て心に刺さったのは、まさにそういう部分だし、ブロックチェーンの可能性の大きさを考えると、ただの技術としてではなく、そういう背景も含めて理解しておく必要があると思った。

そういう本を探していく中で一番いいなと思ったのが、本書『ブロックチェーン・レボリューション』だ。


伊藤穰一だとか、スティーブ・ウォズニアックだとか、超有名人たちの折り紙付きで2016年に刊行された、正にブロックチェーンの可能性やムーブメントについて、未来への希望を込めた内容でまとめた決定版だ。

この本の素晴らしい所は、まさにブロックチェーンが持つ思想的なもの、可能性の大きさを、沢山のスタートアップ企業経験者や関係者のインタビューから浮かび上がらせている事だ。

この本を読んで、「こんなに沢山の人々が、こわなに多様な形で、ブロックチェーンを通した未来を描き、事業をやっているのか!」と驚いた。

FinTechに沸いている金融業界は勿論のこと、
IoTとの関連の話から交通、エネルギー、農業、医療・ヘルスケアなど多岐の業界が話題に上り、
スマートコントラクトや自立分散企業といった概念による企業・ビジネスの在り方の変革、
音楽やアートの世界の変革、果てはブロックチェーン民主主義まで言及されている。

その裾野の広さ自体も凄いが、各分野で実際に取り組んでいる人たちへのインタビューを通して、ブロックチェーンによるイノベーションを起こそうと日夜目論んでいるというのがありありと分かり、

「うわー、知らない所で世界はこんなに動いているのか!!」という目の覚めるような驚きがあるのが、この本の一番意義深い所だろう。

インタビュー・出展の脚注が20ページ超に渡る事からも、その取材量が目に見えるだろう。

という事で、まず読むなら絶対にこの一冊をお勧めしたい!!
正直、その大まかな概念は今やネットを見ればそこそこ分かるけど、取材を通してこの本に書かれた内容は、ネットじゃ他の本じゃなかなか見つからないのだ。

あとね、本書の解説をWiredの編集長が書いてるんだけど、これも趣向が凝らしてあっていい。

ブロックチェーン・レボリューションが出来るまでの歴史や、この本の意義をなかなか熱々に語ってくれている。迷ったらまずこの解説を読むのも手かと思う。

そいで、これを読んだ後、今流行りのビットコイン関連の話や、日本寄りの話題をさらいたくなったら、
いまや日本のブロックチェーン論の大家になりつつある、野口悠紀雄先生の本なんかを読むといいと思う。




おしまい。

2017年3月16日木曜日

【書評:番外編】ブルーバックス2000巻記念 小冊子:電子版も無料!科学技術の主なトピックを概観出来る良質過ぎる小冊子!

ちょっと今日は番外編として、無料配布冊子の話を。



さて、講談社ブルーバックスと言えば、泣く子も黙る科学系新書の草分けand大御所だ。

ド文系の僕だって名前は知っている。

最近、成毛眞の『AI時代の人生戦略 「STEAM」が最強の武器である』に影響を受けて、科学系の本に興味を持つようになってきた。(これはソフトバンク新書)



で、これまた成毛眞さん主催のHonz(新刊・ノンフィクション中心の書評サイト)を購読してるので、理系トピックを気にしてみてると、ブルーバックスの新刊が紹介された。

これだ。


そういう経緯でブルーバックスが頭に刷り込まれたので、会社帰り、ふらふら〜っと本屋のブルーバックスコーナーに行った。

そして、見付けたのが、コレだ。



「…な、なんじゃ、こりゃあ!!」

と、恐らく100万回以上は使われて"100万回生きたネコ"の余命も尽きんとするであろうベタすぎるクリシェも気にならない程に驚いた。
(もしかしてベタすぎて何人か読むのを止めたかもしれない。その人達よ、済まない…)

これは、1963年より刊行をスタートした講談社ブルーバックスの、2,000巻刊行記念で先日から発行されてる小冊子。
なのだが、いかんせん良質・豪華過ぎる。

本好きの方々の89.2%がそうだと言われているように(注:嘘です)、御多分に洩れず小冊子を集めるのが好きな僕だが、この良質・豪華さを兼ね備えたものは、とんと見ない。

これは、
 (コンテンツの良さ) ×(記念時で豪華に出来る)
という掛け算が成立したときだけ出来るものだ。

コンテンツが良いってのはあって、資生堂の「花椿」とか結構好きなんだけど、この掛け算はなかなかタイミングもあるし、なかなかござらん。

で、この小冊子の中身なんだけど、四つのパートに分かれている。それぞれ紹介していこう。


第1部 科学技術とブルーバックス2,000冊のあゆみ

ブルーバックスが生まれた1963年から現在まで、どういう科学技術が生まれていったかという変遷と、その時代時代に呼応したブルーバックスの代表的な本が、主だったニュースとともに通年史で紹介されている。

なんとブルーバックスが生まれた1963年は『鉄腕アトム』がアニメ放映された年で、来たる科学技術隆盛の時代を予見するようで象徴的だ。

主だったニュースなどと絡めて紹介されるので読み易く、「この時代にこういう技術、こういう本が生まれたのかー」というイメージを持てる内容になっている。
この通年史、マジで分かりやすくて文理問わず楽しめる。
早速「ブルーバックスの編集部、すげぇ」という敬意が湧いてくるパートだ。


第2部 特別エッセイ

ブルーバックスの著書を持つ著名人、ブルーバックスファンの著名人のエッセイを集めたパート。

もうね、面子が豪華過ぎる。

・2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠
・ベストセラーで超多作サイエンス作家の青木薫
・『生物と無生物のあいだ』の爆裂ヒットなどで知られる生物学者の福岡伸一
・『進化しすぎた脳』などで脳科学ブームの立役者の1人となった脳科学者の池谷裕二
・宇宙物理学者でインフレーション宇宙論提唱者の佐藤勝彦

などなど…

もう"泣く子も黙る"たぁこの事です。
「さすがブルーバックスさん、ロイヤルストレートフラッシュ炸裂でおまんなぁ」という錚々たる面々。

しかも当然、各著者がブルーバックスへの想いを寄せる書き下ろし。これは読むしかありませんぞ。

第3部 データでみるブルーバックス

歴代発行部数、21世紀の発行部数、歴代発行冊数などのデータをまとめたパート。

見てると歴代発行部数トップ10は全て20世紀のもの。「おー、なんか、科学離れって騒がれてたけど本当だなぁ…」って思っちゃう。

だって、1位が『子供にウケる化学手品77』なのはまだしも、
歴代3位が1966年初版『相対性理論の世界』で、発行部数63万部で発行刷数100刷だかんね。


とかとか、色々考えのヒントになるデータ集。

第4部 編集部が選ぶ30冊一気読み

編集部から2,000冊の中から「これは」という珠玉の30冊を選んだもの。

古くは1963年発行の記念すべき第1冊目『人工頭脳時代』から、
新しくは2015年発行のノーベル物理学賞受賞者である天野浩の『天野先生の「青色LEDの世界」』まで、
新旧幅広く入り乱れた本のチョイス。



この中でスゲェなぁと思ったのが、1965年発行の『計画の科学』が77冊で未だに絶版にならず発行され続けている事。半世紀以上だよ、初版から。


こりゃもう、自分が活版屋だったら、死ぬ間際に「オレが組んだ活版がとうとうオレより長生きしやがった。活版屋冥利に尽きる話だぜ…」と充実感に満ちることだろうよ。
"命尽き果て、身朽ち果つるとも、恐るるな。文字は未だ崩れ果てず。"と自分の墓石には打ちこむことだろうよ。凄いね。

ちなみに中味としては、プロマネのマネジメント手法とかで結構出てくるPERTを解説してるらしい。そんな昔からあるのね…


と以上の内容。
とても無料の小冊子を紹介するようなブログの量じゃなくなってしまったし、それは当然それだけこの冊子の内容が濃いから。
無料だし、とりあえず本屋、もしくは電子版を落として読んでみましょうよ。話はそれからだ。


おしまい。

2017年3月13日月曜日

【書評】チョ・セヒ/斎藤真理子訳『こびとが打ち上げた小さなボール』:言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、リトル・ピープル。

韓国文学(朝鮮文学、とも言うようだが)を今回初めて読んだ。



今まで韓国文学の翻訳作品で、心を惹かれるものに出会った事なかったし、そもそも中国なのか韓国なのかとかも、大して気にしてもいなかった。
(し、名前が思い浮かぶ何人かは悉く中国人だった。)

さらに言うと、韓流ドラマにもハマってなければ、韓流アイドルも追い掛けてないし、新大久保にすら行った事が無い。もちろん鶯谷もだ。
(でも高校の修学旅行で韓国に一回行った)

そういう、韓国にはほとんど縁のない自分なんだけど、本屋でたまたま見た帯文をきっかけに、本書を手に取った。

『四半世紀に渡り130万部も読まれた韓国最大のロングセラー』
『20世紀韓国最大の問題作、遂に刊行!』
『この悲しみの物語が、いつか読まれなくなることを願う ー チョ・セヒ』

130万部⁉︎ 韓国の人口は5,000万人程度というので、日本でいうと300万部越えだ。
近年の小説の大ベストセラー、又吉の『火花』が240万部と言うと、どれ位読まれているかイメージつくだろうか。

そんなに沢山の人に読まれてるにも関わらず、「いつか読まれなくなることを願う」ってどういう事なんだろう、と気になった。

それに、著者も翻訳者も初めて聞く名前だけど、"河出書房130周年"って思いっ切り書いてて、そんな記念の年に河出で出そうと思うんだから面白いんだろうなと踏み、買ってみた。


で、読んでみたら、凄く良かった。
それも単に良い小説というだけではなくて、自分が知らない世界を知る事が出来た。
早くも、今年1位の小説になりそうな予感さえする。

舞台は、1970年代のソウル。

ただ、僕らが普段目にし耳にする韓国 ー業績を伸ばす韓国の財閥だとか、イケメン美女のアイドルだとか、甘ったるいメロドラマー だとかの話ではない。

訳者の言葉を借りるならば、"蹴散らされた人々"、つまり、発展し上述のようなものを生産・消費する高度消費社会になった韓国から取り残された、弱者の物語だ。
"弱者"、言われてみると当然だよな、と思う。
本書を読んで初めてその存在を認識したが、韓国内では大きな幾つかの財閥に、極端に富が集中しているのだから、それ以外に沢山の貧者が居るはずなのだ。

連作短編集である本書は、ある時は貧しい家族の父、ある時はその息子、ある時は財閥側の人物という形で、一編ごとに視点を変えて物語が綴られる。どれも独立した物語として読んでも面白い。
それもそのはずで、一つ一つの短編は、その発表時期も媒体も変え、1970年代の何年もかけて点々と世に出されたものなのだ。
そしてその理由は「短編で出す事で、出版差し止めになっても被害が最小限で済むから」という理由だ。一つの物語として頭の中では完結していたものをわざわざバラして書き、発表したのだ。

そういう危険がある程、この小説が描写した韓国の発展の裏側は、既得権益を持つものにとってはヤバいものだったのだ。

韓国は1970年代、軍事政権の中、資本主義的な成長を遂げていったが、この小説を読む限り、ものすごい労働集約的な生産体制だったようで、確かに人を人とも思わないような扱いをされている。

労働組合が作られ、争議が起きて「搾取するな!」というメッセージを工場の管理者に伝えるなどの描写があるが、実際、イギリスの産業革命時代の児童労働の話とか、『あゝ、野麦峠』とか『日本之下層社会』とかで見聞きしたのと瓜二つの労働環境で、思わず「あれ、いつの時代の話だっけ?」と時代背景を確認したくなる。
マルクスも1970年代にまさかここまでの搾取があると思わなかっただろう、という前時代的な酷い搾取が行われている。

著者はこの小説を書くために、実際、そういう貧困層達が暮らす地域に部屋を借りたり、住民が立ち退かされる瞬間を目撃したりしていたらしく、そのリアリティがまた凄い。

だから、"この悲しみの物語が、いつか読まれなくなることを願う"という言葉に繋がるのだ。

また、この小説のすごいところは、そういった貧困に対するリアリティを保ちつつも、文学的に昇華されているところだ。

主人公となる貧困家庭の父は"こびと"で、せむし男のサーカス団に入ろうとする。
"こびと"である父は、この小説の核となり各短編で描写される。
日本では堂々と書く事すら出来ず、村上春樹さえリトル・ピープルと表現したと云われる小人症の人物像を設定する事で、寓話的な話に仕立てたようだ。

この設定と、多視点からなる構成が合わさる事で、悲惨でリアルな告発の物語を読んでいるはずなのに、マジックリアリズム小説を読んでいる心持ちになる。
(ホントに。ガルシア=マルケス読んでる時に感
じるラテンアメリカの砂埃みたいなのを感じる) 


重く普遍的な題材、文学的な達成度、面白い物語構成、と三拍子揃った名作。
帯文の惹句たちは伊達じゃない。

これを出版に踏み切った河出書房、翻訳された斎藤さんにも頭が下がる思い。
だって1970年代に初版発行されたやつを今更翻訳して出すわけだからね。

最後の四方田犬彦さんの解説もまたいい。1970年代当時に韓国に在住していた四方田さんの回想。
これがまた叙情的で、読む際にイメージを湧かせる補助線として役立ちます。

いや、ホントにこれは名作です。読みましょう。



おしまい。

2017年3月9日木曜日

【書評】又吉直樹「劇場」:読後感は「火花」以上! 劇作家と恋人との日々。

先日発売された『新潮 2017年4月号』に掲載された又吉の新作を、早速読んだ。


一言で言うと、とても良かった。
良い小説を読んだ時の、余韻に浸るような読後感があって、2年前、文學界に掲載されてすぐ「火花」を読んだ時の事を思い出したし、2年前のより良かった。

「劇場」は、自分たちが立ち上げた劇団で脚本や演出などを手掛ける永田と、その恋人の沙希の物語だ。
「火花」と同様、夢を追う、何も持たない若者の心情とクローズドな関係を描いた話になっている。

個人的には今回の方が好き。
「火花」は師弟関係が最も緊密だったけれども、「劇場」は恋人との関係が最も緊密だ。
読んでいくと、沙希に対して自意識と劣等感がない交ぜのダメ男っぷりを発揮する永田の様子が胸に迫って、思わず目を逸らしたくなる。
(本読みながら目を逸らすってのも変な話だけど)

そういう所からどんどん感情移入していって、ページが進んで終盤だと分かってくると終わって欲しくないと思ったし、読後の余韻もひとしおだった。

主人公が劇団をやっているので、演劇の話や、どういうコンセプトでどういう脚本を書いた、みたいな話がかなり具体的に出てくる。
「あー、そういうの実際やってそー!」って思えるようなものもあって、その辺界隈を好きな人は結構ツボるかも知れない。

けれども演劇とかを知らないと読みづらいかというと(僕も最初そう思ったけど)、全然そんな事はない。
「火花」でもあった独特のテンポ感、笑えるところはやっぱりきちんとあって、ぐいぐい読んでいける。

個人的には、サッカーゲームで自分のチームメンバーに文豪の名前を付けている描写があって、そこがツボ。
"ロナウジーニョに森鴎外をマンマークさせて競り合う"とか、"敵が強くなってきたからここは控えの朔太郎を出すしかない"みたいな。
朝の京浜東北線でニヤニヤしてしまってお縄を頂戴しそうになったよ。


今回、又吉の2作目を読んで、「火花」も含めて、又吉の作家性、というか特徴ってなんだろうって、ちょっと考えた。

「火花」が物凄い売れ行きで、吉本芸人で元々の知名度が高いという理由も勿論あるけれど、やっぱり多くの人に読まれるようなリーダビリティだったり、共感を抱ける何かがあるから売れたんだよなと2作目を読んで感じた。

それは一体何かなぁ、他の作家と何が違うのかなぁ、っていう事で、2つ考えてみた。


◼︎太宰譲りの「道化」の感覚
まず、お笑い芸人であり、太宰の大ファンを公言している事もあって、その流れから受け継いでいる可笑しさ、テンポの良さというのが思い当たる。
太宰が小説とかで書くところの「道化」、坂口安吾でいう「ファルス」の感覚。

確かに太宰や、まれに安吾の小説を読むと感じる事のある可笑しさ、物語のテンポの良さに通じる感覚だと思う。

「劇場」でいうと、正直ちょっと、最初の数ページは滑り出しが悪くて、「少し冗長かな?」と思うところもあったけど、沙希と出会った位からはテンポが出来てきて、ぐいぐいと読み進めていけた。

「火花」の時はホントに漫才の描写だったから「漫才のテンポ感」みたいな事を言われていたし、何となくそう思ってたけど、違う。

全然今回漫才じゃないけど、同じ読み心地だし、
このぐーっと読めちゃう感じは漫才というよりも太宰的で、リーダビリティに繋がってるんだろうなと思う。太宰だと色々あるけど、『グッド・バイ』とか凄いじゃない。

あと「火花」と変わらずなのが、読み進めていく中で、どんどん絵が頭に浮かんでくる感覚だ。
「火花」は映画・ドラマと引っ張りだこだし、多分この「劇場」も映像化されるんだろうなぁと思う。

その時の沙希ちゃんは誰なんだろうなぁ、沙希ちゃん凄く良い子だから配役が気になる。


◼︎又吉にしか書き切れない舞台
そしてもう一つ考えたのは、小説の舞台、すなわち設定の話だ。
東京、それも吉祥寺とか、下北界隈とかで表現をやる人たち、夢を追う人たちや、それに憧れて上京してくる人たち。

サブカル界隈の栄養を吸ってる身としては、こういう場面って結構お腹いっぱいだと思ってたんだけど、「劇場」みたいな純文学の切り口で、夢追う人のど真ん中を描いたものって実はあまり無いと思った。

夢追うフェーズを終えたものだと山内マリコ『ここは退屈迎えにきて』とか、
痛々しさを揶揄してるのだと渋谷直角『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』とかあるんだけど、
「東京で夢追い&くすぶりど真ん中」的な空気感とかがあるやつって、ちょっと古いけど浅野いにお『素晴らしい世界』位しか浮かばない。

そもそも渋谷直角も浅野いにおも漫画だし。



だから恐らく、又吉みたいに夢追う渦中も経験していて書ける、かつ、(才能も知名度も合わせて)大勢の人に届けられる人が他にいないじゃないかなって思った。ほんとにその空気感を体験してきて、見てきて、書ける人って。
まぁ「俺が知らないってことは他に居ないんだ!」っていう結論の持って行き方なのは百も承知なんだけど。

ただ需要はかなりあったはずで、需要はあったんだけど、それに合った供給がされなかったから、又吉の小説は「待ってました!」とばかりに、その人達に支持され、共感されたのではないかと思う。(なんか、経済っぽいタームですいません。)

と、こんな具合に2作を通して、又吉の作家性、売れた理由を考えてみた。

さてさて、という「劇場」ですが、読みたい人、
『新潮 2017年4月号』は在庫切れの店が続々出てきてるようで、さっさと買った方がいいよ。

ちなみに僕は昨日、本屋5-6店行ったけど、どこも売切れで、最後に丸の内の丸善本店に行ったら平積みでまだあって、胸を撫で下ろして帰りました。都内の中小の本屋はほぼ無いっぽい。

Amazonも定価以上の中古品しかないし、新潮社が1万部増刷するみたいだけど、初回4万部が2日でこの状態(発売は3月7日)だから、増刷分もいつまで在庫が持つかは何とも言えないので。

長々と書いてしまいましたが、よって、3作目も僕は楽しみです。おしまい。

P.S. 又吉とは関係ないけど、同じ『新潮 2017年4月号』で面白かったのが、角田光代の書評と岸政彦のエッセー。
書評は『狂う人』という島尾ミホの評伝。
読み解き方、説明の仕方に惹きつけられて、元々『狂う人』は読みたいなと思っていたけど、絶対読もうと思った。「書評ってこうやって書くんだよ」って怒られてる気さえした。

エッセーは、岸政彦の小説について、どう執筆していったかという話。
日雇いで肉体労働していた、若かりし頃の話なんかも出ていて、好きな人には堪らない内容。

ほんとにおしまい。

2017年3月6日月曜日

【書評】フリート横田『東京ノスタルジック百景』: 昭和は遠くなりにけり、を実感する本。



2020年の東京五輪に向けて、日々準備が進んでいく現在の東京。再開発も甚だしい。

変わっていくのは町の常だし、変わり続けていくのが当然の姿だとは思うものの、どこか古い風景に良さを求めてしまうのも人情。

平成ももう29年、天皇の生前退位も昨今取り沙汰されていて平成すらもいつまで続くのかという現在、再開発に圧されて消えていく「昭和」という時代への郷愁をまとめたのが本書『東京ノスタルジック百景』だ。

本書は昨年(2016年)12月に刊行されたもので、今、東京にあって、「昭和」という時代が感じられる風景、建造物を色々と紹介している。

それらの風景、建造物について、
・取り壊しや廃業が決まっているもの=赤
・取り壊し・廃業になるかも知れないもの=黄
・何とか存続しそうなもの=青
と色付けているのも特徴だ。

実際、取材時には営業してたけどもう廃業してしまい、これから訪ねようとしてももう、手遅れなところもある。

僕はこういう本やWEBサイトが好物で結構読んでるんで、類似本、類似サイトで箸にも棒にもかからないような奴らも見てきたんだけれども、
この本はそういう中味の薄い類似本ではなくて、面白かった。

著者のフリート横田さんは、ライター兼編集者の方らしく、今まで存じ上げなかったんだけど、一言でいうとかなり熱量のある方だなと思う。
インタビューや写真などがサラリと載せてあるけれども、結構エネルギーを割かないと出てこないだろうなというものが多い。

例えばインタビューだと、ニュー新橋ビルの文章。新橋で古くからお店をやってる人に昔の新橋の様子をインタビューしてるが、青線があった当時の客と女のやり取りだとか、眼に浮かぶような話を聞き出している。
他には行商のおばあちゃんにインタビュー、写真撮影の許可を貰っていたりもして、この辺りは著者の対象への熱量の賜物だろう。

あと写真もかなり資料集めたんだろうなと思っていて、昭和40年代頃の写真が特に個人的にアツかった。
ニュー新橋ビルが立つ前の新橋駅の風景とか、黒川紀章が中銀カプセルタワービルを建てた時の写真とか、晴海の貨物線が現役で使われてる写真とか。
ってか昭和40年って、1965年だからね、もはや半世紀以上前なんだよね、信じられん。。。

ちなみに自分の本書でのイチ推しは、ニュー新橋ビル、晴海倉庫群、TSミュージックです。

この辺りはcakesでもちょっと読めるので、興味ある人は見てみると良いでしょう。



おしまい。

2017年3月2日木曜日

【書評】『早く家へ帰りたい』高階杞一:愛する子どもを持つひと、喪に服すひとの処方箋


また、夏葉社の詩集。先日書いた尾形亀之助といい、どうも最近詩集に手が伸びる。



この詩集は1995年に出版されたものの復刊で、2013年に出たもの。
小さい子がいる自分の状況もあり気になってはいて、たまたま見つけたので即買いした。こういうのは見つけた時に買わないと、得てしてなかなか見つからなくなってしまう。

1994年に亡くなった著者の息子雄介くんのその生、共に過ごした日々、そして死を紡いだ詩がまとめられている。

前々から思っているんだけど、詩という表現は写真と似ていると思う。
「写真っていうのは未練だからね。未練がなかったら残そうと思わない。そういう女々しい作業が人間的でいいんだよ。」
(『人間、泣かなくちゃ』より)
と言ったのはアラーキーなんだけど、詩も同じだよなぁといつも思う。

「残したい」と思う瞬間があって、
それを言葉で切り取る行為が詩で、
画像として切り取る行為が写真で、
切り取るための道具が何かという違いで、本質的な表現の欲求って同じだと思う。

そしてその瞬間というのが、極めて私的な事なんだけれど、
生とか、死とか、恋とかで、多くの人間が同じ思いをするから、
普遍性を持つのだと思う。

そういう意味で、この『早く家に帰りたい』に収められている詩は、
最も私的があるからこそ、もの凄い普遍性を持って訴えかけてくる。

それに、個々の詩だけでなくて、詩集の編み方もすごく良くて、良すぎて切ない。

雄介くんが産まれた時の詩から始まり、
産まれて数ヶ月で手術になった時、
入院する病院に向かう時、
やっと退院した時、
そして、亡くなった時、
亡くなった後に思い出す時、と続いていく。

それぞれのスナップショットが連なっていって、
読む側も、雄介くんと共にいた日々を追想出来る。

その中で、亡くなったその時の詩が表題作の"早く家に帰りたい"だ。
ある程度の長さがある詩なので、中途半端な引用はしないけど、この詩は本当にすごい。

「早く家に帰りたい」という言葉自体のキャッチーさ、心惹かれる感じと、
それと裏腹に自分の子供の死に直面する事の重さとが両立していて、
さらに、この「早く家に帰りたい」という言葉がキーとなるように、巧みに詩が構成されている。

僕みたいに小さな子がいる人は勿論、大切な人を亡くした人に取っても、悲しみに寄り添うような詩になっていて、かつ、そのキャッチーさや構成の巧さでどんな人も引き込める詩になっている。
いやー、すごい。すごくて切ない。

もっと広まればいい詩だと思う。
教科書とか便覧とかに載せたい。

そして読む人は出来ればお家でゆっくり、静かに堪能してほしいと思う。

おしまい。