2016年4月30日土曜日

書評『アートの入り口』河内タカ:ウォーホルからヴィヴィアン・マイヤーまで


アメリカの近現代アートについて、NYでキュレーションや編集に携わっていた著者がFacebook に綴ったものをまとめた一冊。




エドワード・ホッパー、アンディ・ウォーホルなど、アメリカの近現代アートの大看板に関するエッセイもあるが、そこはあくまで取っ掛かり。

ウィリアム・クライン、ロバート・フランク、ナン・ゴールドウィン、ラリー・クラーク、ロバート・メイプルソープ、ジョゼフ・コーネル、サイ・トゥオンボリー、ジェフ・クーンズ、…最後にはヴィヴィアン・マイヤーまで出てくる!

こういった、今までアートの入門書ではなかなか扱われなかったフォトグラファーやアーティストについて、その人となり、作品の意義・背景が簡潔に紹介されている事が、この本の一番の魅力だ。

ナン・ゴールドウィンの写真集を作った時のエピソードや、ジェフ・クーンズの家にランチしに行ったエピソードなど、実際に関わった人じゃないと書けない話が、普通の友人・知り合いを紹介するようなフランクなタッチで書かれている。

そしてもう一つ素晴らしいのは写真集や作品のカラー写真が挿し込まれている事。
全てについているわけではないが、写真集や、ウォーホルの初期作品の写真もあったりして嬉しい。やっぱり図版とかでイメージ湧かせたいしね、入門なら尚更。

個人的にはメイプルソープのセルフポートレート、ロバート・フランクの『アメリカ人たち』、ナンゴールドウィンの『性的依存のバラッド』辺りの写真があったので「こういう本は見た事ないな」と思ってこの本の購入を決めた。よく見るウォーホルのバナナとかシルクスクリーンの図版だけなら買わなかった。

Facebook5年分の文章なので結構量があり、本もそこそこに分厚い(368ページ)。一気読みするとかなりの数のアーティストが出てくるので結構キャパオーバーすると思う。

だけどfacebookに日々投稿してる内容なので一つ一つのエピソードが2〜3ページ程度と多くない。
アソート形式のオードブルみたいに、気に入った時に気に入ったものだけ肩肘張らずに読めばいいと思う。
その方が楽しく門戸を叩けるし。

個人的には上述したフォトグラファーとかのエピソードを紹介している一章が結構断トツで好き。
あと個人的なだけど、ダッシュ・スノーとライアン・マクギンレーが無かったので、そこは欲しかった。

本の紹介サイトもきちんとしたのが作られていて、対談とかやる予定も載ってるので、気になる向きはこっちも要チェック!!
更に気になる人は河内さんのfacebookをフォローするといいと思います!(僕もしました)

この本で予習した後、代官山蔦屋ないしはTSUTAYA TOKYO ROPPONGIあたりで写真集やら美術書を読み漁るなんてのは、お金の掛からない入門の仕方としてGWに如何でしょうか!!(ミーハー感が結構アレだけどね…)

おしまい。。

2016年4月27日水曜日

落語:三遊亭楽天さんの落語会に行ってきました!!

さて、今回は管理人の好きな落語のお話です。

少し間が空いてしまいましたが、先週土曜日、落語家三遊亭楽天さんの落語会に行って来たので、その感想を書きたいと思います。

もはや図書館のブログなんだか何なんだか、という話はありますが、、、まぁイベントでも落語やってるし、好きなんだからいいじゃないか!
何ならいつもの書評よりよっぽど長ぇぞ!


まず三遊亭楽天さんですが、六代目三遊亭圓楽さんのお弟子さんです。
六代目三遊亭圓楽さんについて補足しますと、『笑点』で紫の方です、以上。(分かるでしょ?これで)
で、楽天さんですが、2012年8月に入門し、昨年10月に二つ目に昇進された新進気鋭の落語家さんです。

それで、経歴が面白くて、元々ダンサーなんですよ、楽天さんは。

私事ですが、うちの嫁がダンサー時代の楽天さんと知り合いで、その繋がりで僕も口演のお知らせとか頂いている次第です。楽天さん、元々はストリートダンス系(?疎くてよく判らない…)を始め、色々な所、僕が嫁に聞いたのはTDLのパレードとかで踊ったり、ダンスのレッスンをされていたプロのダンサーさんでした。

後でまたちゃんと触れますが、そういった異色の経歴でございますので本日の色物は、なんと『ダンス』でした!! 場所も大森スポーツセンター!!
落語とダンス、和洋折衷、文科系と体育会系のケミストリー(これは書きたかっただけ…)な内容と相成っておりました。

番組は、
・落語:三遊亭楽天『手紙無筆』
・落語:三遊亭らっ好『しの字嫌い』
・落語:三遊亭楽天『金明竹』
・色物:三遊亭轟天号『ストリートダンス』
・仲入り
・トーク:三遊亭轟天号、三遊亭らっ好
・落語:三遊亭楽天『禁酒番屋』
という形。人ごとに書いていこうと思います。

【三遊亭らっ好】
らっ好さんは三遊亭好楽(笑点でいうと、ピンクです)のお弟子さんの三遊亭好太郎さんのお弟子さんだそうです。好楽さんの孫弟子です。今年6月に二つ目昇進されるとの事です。




演目は『しの字嫌い』だったんですが、アクのない聞きやすい感じの声・調子で、個人的には結構好きでした。
「ラッコに似てる」と最初に言われたことから”らっ好”に決まったとの事なんですが、確かにラッコのごとき愛らしくて憎めない感じで、その雰囲気もあり噺を和やかなものにしているなと思いました。
(全然本筋と関係ないけど、ラッコって漢字で書くと途端に強そうな印象。獺虎…)

しの字嫌いはその名の通りで、主人と使いのものの間で「し」を言ってはいけないという取り決めをして…という話。(超、ざっくり…)
前座噺と言われたりするものの、トチって変なタイミングで「し」が入らないようにしたりは、結構大変なんじゃないかなと思います。

あと、勝手な想像なんですが、らっ好さんかなり理論派なんじゃないかな、かなり緻密にくすぐりとか言い立てとか構築しそう。
今後見てみたいネタとしては『小言幸兵衛』、くすぐりをガツガツアレンジして入れ込んで欲しい。
あとは『宿屋の富』、これは個人の印象なんだけど志ん朝ベースの『宿屋の富』とか合いそう。


【三遊亭轟天号】
色物のダンスユニットです。



ごうさん(写真真ん中)、小林さん(写真右)、楽天さん(写真左)というトリオ。

落語の色物でダンスというのは相当珍しいんじゃないかと思いますが不思議なほど自然。全然違和感なかったです。

ダンスの評価ですが、正直僕は出来ないのでよくわかりません!!
「あ、この振り付けめちゃイケで岡村が似たようなのやってたー」とか、ボーッとバカなこと思ってました!!笑
ご本人たちは体力の衰え、練習の少なさ等々を言っておられたので、次回以降、乞うご期待と述べておきますです。
ただ、毎回見るのは結構楽しみですね、これは。「回を追う毎に良くなっていくから、今回が底辺」という轟天号さん方の弁もございましたので。。
(ってか、全然ちゃんと書いてないですね、すいません。)


【三遊亭楽天】
今回の主役でございます、たっぷり3席。


いや、正直申し上げて、期待値をですね、どこに置けばいいか分からん状態で今回聞きに行ったというのが聞く前の実際のところでした。
昨年2つ目になられたのですが、前座時代の落語の感想を嫁の知り合いづてに聞いたりとか、ブログで書いてあるもの漁ったりとかしてると外角低めのボールが投げられている感じだったという(失礼しました!!)、そういう下馬評を脳裏に携えて参りました。

が、ここで僕が更新します。凄い良かったです!!

普通に話を聞いていてまとまっていましたし、危ぶまれるようなところも無かったかなと思いますので、今までの下馬票は完全に蹴散らしたのかなと思います。

そして更に、聞いてて際立って「いいなぁ」と思ったのが3点ございまして、順に申し上げます。

まず、キャラクターの表現。登場人物のキャラクターの演じ分けが上手く、すごく立体的に噺が聞こえてきました。
金明竹の小僧、妻、上方者のやり取りも個々が立っていたし、個人的には禁酒番屋の番人の酔っぱらっていく様子が白眉でした。うまーくデフォルメされて可笑しみがあった。
この可笑しみが含まれた上での描写ってなかなか見ないと思う。

次には言葉のリズム、粋っぷり。手紙無筆のときからリズム感というか、何だろ、別にそんな江戸言葉がつがつという感じの噺ではなかったと思うんですが、江戸言葉の粋っぷりを感じました。
ダンスをやられていて身体にリズム感が染み付いてる事も一因だと思うし、多分体幹が安定してるからなのかな、腹から声が出て捲したてる感じとか、清々しかった。
ちゃんと理由を語りきれないんですが、とにかくそういうものを感じて「いいなぁ」と、思いました。

3点目はくすぐり。今っぽいセンスのくすぐり、好きでした。
『ファイナルアンサー』とかね、ちょいちょい入っていて、あんま詳しく書くとネタバレっぽくなってしまうかも知れないので書きませんが、くすぐり自体のセンスと、作り込んでる感じとが良かったです。
これは多分今後、もっと抽出しが増えていくと思うので期待です。

で、今後演って欲しい噺。これはアンケートにも書いたんですけど、まず『大工調べ』。これは今回感じた「いいなっ」てところ全部入ると思う。キャラ分け、言葉のリズム、くすぐりもバンバン入れられるし。すっごい演って欲しい。

あと、リズム、粋っぷりというところで『たがや』。江戸の夏じゃないですか。これ、どうです?夏の寄席で『たがや』なんて時節にも合って最高じゃないですか!?(勝手にゴリ押し)

酔っ払いのキャラクタっていうピンポイントなところで『らくだ』もかなり見たい。屑屋が変貌していくところとか、スゴい上手いと思う。

あとは変化球的に『猫と金魚』。この噺すごい難しいと思うんですが、どう演るかってのを期待しちゃいます。今っぽいくすぐりとか入れて頂きたい。。



と。
えー、散々偉そうに&好き勝手書いてしまいまして、ご本人が読んだ感想が怖いところなのですが…
1ファンの戯れとお聞き流し頂ければと思います。。

さて楽天さん自身もブログを更新されているので、リンクさせて頂きます。

次回の落語会も是非行こうと思っております。らっ好さんも追いかけたい。

もし落語好きな方でご興味あればわたくし、ハブになりますのでお気軽におっしゃって下さい。


それでは、おしまい。 

2016年4月21日木曜日

書評『小説家という職業』森博嗣: ”ビジネスとして”の小説家案内

 

本書を開くと序盤も序盤、まえがきの9行目でこんな事が書いてある。

もしあなたが小説家になりたかったら、小説など読むな。

『すべてがFになる』や『スカイ・クロラ』の作者である森博嗣が、主に小説家になりたい人に向けて小説家というものを語っているのだが、何を隠そう、これが本書の結論だ。
(森博嗣自身もはっきりこの本の結論だと言っている)

この本が世に数多ある「小説家になるには」シリーズの他の本と一線を画すのもまさにこの一文に依る。

初めて彼が小説を書こうと思った理由、それはお金だった。小説が好きだからでも小説家に憧れたわけでも何でもない。
当時大学教授だった彼にとって小説家、それは副業としてお金を稼げる手段、つまり「アルバイト」だった。
アルバイトを探す要件としてシフト、労働環境、業務内容、報酬もろもろを考えるとこんな感じだ。

・シフト= いつでも好きな時間に働けます(週0からOK!!)
・労働環境 = 在宅勤務OK
・業務内容 = 小説の執筆
・準備頂くもの = PC、もしくは紙とペン(文章が書ければ特に指定なし)
・報酬 = 出来高制(但し、アウトプットの質により0の場合もございます)

こう考えた時、大学教授として沢山の学生の論文指導で文章力には自信のあった(但し国語力には無かった)森博嗣は、「勝算あり」として小説を書き始めたのだった。そして結果は…ご覧の通りというわけだ。

だから彼にとっては小説はビジネス、ビジネスとして小説執筆を考えて「こうすべき」と判断される諸々を総括し、凝縮した一言が冒頭の一文となるのだ。

で、具体的にどういうことかと言うと、まず、
 ① 小説(特に売れる小説)において最も大切なものは「オリジナリティ」である
 ② 小説家を志すにおいて最も大切なことは「小説を書くこと」である
というのが森博嗣のキーメッセージである。

それに対して、このメッセージを送る主な対象である「小説を書きたい人」というのは
a)  小説が好きである
b) 小説をよく読んでいる
という性質を持つ人が多いと推測される。

a) b)の性質というのは、キーメッセージにどう働くかというと、
a)は、既存の好きな作品に影響を受けやすくなってしまうので、「オリジナリティ」の獲得に反する 。ゆえに①に反する。
b)は、小説を読むことに時間を費やしてしまうので「小説を書くこと」が十分にできない。ゆえに②に反する。 
と考えられる。

ゆえに「もしあなたが小説家になりたかったら、小説など読むな」となるのだ。

まあ、本の中ではここまで論理式チックに細かく記載されているわけではないけれど、
あくまでビジネスとして戦略的に、そして論理的にこう考えてやってきた結果、自分がどうしてきたのか。
そして小説家になりたい人はどうすれば良いと思うのか、が書かれている。

あとはビジネスとして収益性という点で、「収入がどれ位になったか」という事にも軽く触れている。
(詳しくは『作家の収支』という別の新書に書かれている。これも面白い)


極端な部分は当然あるが、
「結局、ほんとに才能あるやつはそもそもこんなハウトゥーめいた本は読まんのだろうし、読んだとしても好きにやってほっといても頭角表すでしょう。
だからこういう本を読んで小説家になりたいとか言ってる人たちは、きちんと差別化して、きちんと売る戦略も考えて勝負しましょうね。」
という主旨のことが書いてあり、これは本当にその通りだと思う。

小説家になろうとか言ってる人には暴論言うくらいでちょうどいいっすよね、って僕も思う。
なので、会社の上司みたいに大人の正論できちんと若者をぶった切る感じは、すごくカタルシスで読んでて気分良かった。

ちなみに森博嗣はkindle版が多い。(『すべてがFになる』『スカイ・クロラ』も当然ある)
これもまた森博嗣がビジネスとしてどう売っていくのか、を考えた結果なのだろう。
 

あと、kindle版だとよくセールになっているので、好きな方はちょいちょい見ることをオススメする。
たまに「日替わりセール」とかにも出てるし。

今はこれが安いみたい。




おしまい。

2016年4月20日水曜日

書評『我が詩的自伝』吉増剛造: 天才はかくあっけらかんと語りき

本の表紙を開くとカバーの内側に、筆者の略歴と近影が載っている。そこに舌を出して人を食ったような顔をしてるのが、吉増剛造だ。

吉本隆明をして『日本には詩のプロフェッショナルと呼べる人が3人いる。田村隆一、谷川俊太郎、そして吉増剛造だ』と言わしめたこの人は、近影を見て何となく雰囲気が伝わる通り実にあっけらかんとした口調で自分の来し方を語る。

ただ口調とは裏腹にその内容然り、言葉を紡ぐまでの思考はまさに詩の天才のそれ。
思考の跳び方とか発想もそうだし、知的な抽出しも詩はもとより哲学、日本の古典、海外文学、民俗学、アート…とばんばん飛んでいって、正直凄過ぎて何言ってるか良く分かんないとこもちょこちょこある。
人間関係もなんか凄くて、親交があった人でも田村隆一、アレン・ギンズバーグ、ジョナス・メカス、中上健次、アラーキー…と錚々たるメンツが色々居て、あげく奥さんが六カ国語を操る才女のブラジル人!笑

読んでいて吉増剛造の天才たる所以を一番感じるのは、吉増剛造が一番敏感に感じ取り思考を巡らせているのが「言葉になる前の思想や感覚」だということ。しかもそれが生起する瞬間とかを絶対見逃さない。
インタビュー形式の語り下ろしなんだけど、節々で「これはこのインタビューで初めて概念化された」とか「この思想は話してて初めて繋がった」とか「これは言葉には出来ないんだけど」とか言ってるし、詩のモチーフ(最近の作品はもはや進ち過ぎて、いわゆる"詩"の形式ですらない…)も五感全てだけでなく、時間感覚、事件性、場所すらも動員されて編み出されている。

全編を通じてそんな感じなので、本当に驚嘆する。
ちなみに詩は学生時代に初めて書いた時からもう、書き方が判ったらしい。そんなんを最初の方にさらっと言ってる。
あと同じく最初の方でモチーフの原風景とか女性性の話してる時に、「つい最近ある女の人を好きになってとても困っちゃったから…」とかさらっと言ってる。笑
あんた御年77歳だろが!って。

最後若干脱線しましたが、気になる人は是非読んで欲しい。新書で安いし。そうそう、税込1,000円切るんだよ、この本!安いの!
カバー付けて単行本にしたら値段3倍でも納得感あるような、しっかりした内容なのに。
6月から東京国立近代美術館で回顧展をやるみたいで、多分その宣伝も兼ねてるからこんなに安いんだと思うんだけど、かなりお得感高いっす、コレ。



なので書店で表紙めくって舌を出した吉増さんを見てピンと来たら、とりあえず買いましょう皆さま。

おしまい。

2016年4月19日火曜日

書評:ホリエモンの熱いお節介が村上龍とダブってきた『君はどこにでも行ける』

ホリエモンのこの本とか、関連するインタビューを読んでいると、「あいつ、昔は相当なワルだったのに、アキちゃんと結婚してガキも産まれて、すっかり丸くなりやがって…」という国道沿いの食べ放題2,280円を囲むいい歳こいたマイルドヤンキーの周りで5万回位繰り返されてそうな情景がちょっと頭を掠める。



要は「若い時、散々好き放題やった兄ちゃんが、いい年になってすっかり丸くなり、面倒見が良くなった。」という感じだ。

ホリエモンは実際ある人に「堀江さんは最高のお節介ですね」と言われたことがあるそうで、この本もそういった気持ちで日本という国と人々を本気で憂うホリエモンが随所に感じられた。

ライブドアで鮮烈に日本のビジネス界にデビューして、『稼ぐが勝ち』だの「サラリーマンは現代の奴隷階級」だの扇動的な言葉を放って一躍有名になって選挙、ニッポン放送の買収と試みるも逮捕され、刑期を終えて現在に至る。
言葉のキレや炎上っぷりは変わらずだけど、最近の本やインタビューを見てると、何となく「あー、この人は本気で日本の事心配してるっぽいな」と感じた。

「何となくこのスタンス、どっかで読んだような記憶が…」と思っていたら思い出した。そう村上龍だ。

村上龍の名前を知る人も、初期の小説を読んだことない人からしてみると「ああ、『13歳のハローワーク』ね」「『カンブリア宮殿』ね」位なもんだろうが、どっこい待て待てだ。

デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』では麻薬、乱交、ヒッピーなどなどてんこ盛りの超話題作で芥川賞をかっさらい、今も続く「すべての男は消耗品である」というエッセイなんか、初期は「ブスは幸せになれない」だの「汚い格好のカップルは景観の邪魔だからイルミネーションなんか見に来んな」だの、散々な事を言っていた。

    

 それが90年代から経済の話をするようになって、いまや日本を憂いまくるおじさんだ。

分かり合える人がいるのか全く自信がないが、この奔放っぷりからの国と若者を憂うおじさんへの傾きっぷり、同じ変遷を辿り初めている気がしてならない。

村上龍はもうエッセイも小説もその匂いが染み付いて取れない。
もちろん、それ自体は大変有り難くて良い事書いてあるんだけど、正直読み物としては面白くない。
あの、”キューピー人形がたらいで行水したみたいにあっさりしたセックス”っていうぶっ飛んだ描写を書いた人はどこへ?
お国の事はとりあえず良いから、そういう誰も書かない小説を書いて欲しいですよ、元ファンとしては。

それで、この本自体は凄い良くて、熱い、タメになる内容だったんだけど、それゆえに今後ますますホリエモンの国の憂いぶりは加速するんじゃないかと不安。
だからどうか憂うる事はそこそこに、ビジネスだけ見てぶっ飛んだやつ展開して欲しいです。
だから宇宙事業とか結構期待してる。国を憂うる事に貴重な才能を費やす事だけはして欲しくない。
(まあ、こっちこそ余計なお世話、ではあるが・・・)

2016年4月11日月曜日

書評:平成まで大衆芸能史をアップデートした記念碑的テレビ本『1989年のテレビっ子』

大変お久しぶりです、、、どいけんです。

イベントが終わりばたばたとしている間に3月が過ぎ、あっという間に桜も散り際。
時の流れは早いもんですねぇ(水野晴郎風)、ほんとに。
ブログの更新もすっかりサボってすみません。。

さて、今日紹介するのは『1989年のテレビっ子』(戸部田誠)です。
発売前からcakesで特集されていて、心待ちにしていた本なのですが、読んだら期待通りというか期待以上に最高でした!





この本は昭和が終わり平成が始まった1989年。その年をテレビバラエティのターニングポイントとなる年として、
そこに至るまでの"昭和テレビバラエティ史”と、"平成テレビバラエティ史”の始まりを描く内容になってる。
凄いのは、昭和から平成までを通史的に書いた本って、大衆芸能史の本と捉えると多分初めてで、だからこの本ってホント記念碑的だと思う!!

笑いに関する大衆芸能って、江戸時代の烏亭焉馬から始まる「寄席」を場とした落語と、
明治時代の川上音次郎のから始まった「劇場」を場とした喜劇が戦後すぐまで二大メジャーで、
昭和30年代頃から「テレビ」がその二大メジャーを駆逐したという流れになっている。

実際、コント55号の欽ちゃんや坂上二郎、ビートたけしなんかは劇団出身だし、明石家さんまも元は落語家で、元々中心だった「寄席」「劇場」という場から「テレビ」という場へと移ってコメディアンとして大物になった人たちが、漫才ブームの頃まではそこそこにいる。

だから昭和から平成にかけてのテレビバラエティ史をアップデートすることはそのまま、大衆芸能史をアップデートすることを意味する。
それ初めてだな、マジで凄いなと思ったから本が出る前からワクワクしてた。

どうターニングポイントだったか、をものすごく簡単に言うと、1989年に起きたことは、
・『夢で逢えたら』(ダウンタウン、ウッチャンナンチャン)全国放送開始
・『今夜は最高!』(タモリ)が裏番組の『ねるとん紅鯨団』(とんねるず)に視聴率で負け、終了
・『オレたちひょうきん族』(たけし、さんま)の終了
で、昭和のビッグネームや代名詞的な番組の終了と、平成のビッグネームの本格的な活躍の開始だ。

昭和のテレビバラエティは「コント55号、ザ・ドリフターズ → 漫才ブーム → BIG3 (タモリ、たけし、さんま)」、
平成のテレビバラエティは「とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナイン」というのが、
ものすごい大まかな構図で、コント55号から始まる昭和のテレビバラエティ史から始まり、1989年を迎え、平成のテレビバラエティになっていくという流れが、本書では書かれている。

更に、2014年3月31日、この日を(著者の感傷も交え)”平成テレビバラエティの終わり”と言っている。
この日の夜は32年続いた「笑っていいとも」のグランドフィナーレで、タモリ、さんま、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナインが一同に介した。(たけしは昼間に出演)

ネット上で『テレビのお葬式みたい』と流れたりもした通り、その場は昭和から生き残り続けてテレビを引っ張ってきたBIG3と、
平成のテレビを彩ってきたビッグネームが集まり、壮観すぎてもうなんか国葬でもやってるような雰囲気だった。その事を本書でも書いている。

僕も同意見。グランドフィナーレを見たとき、"終わる”感が半端なかった。
ネットも出てきて、国民みんなテレビを見るわけでは無くなった。メディアの劣化も叫ばれて久しい。
そういう状態で、こんな「国民的スター」みたいな人をテレビが生み出すことはないんだろうなーって思った。
まあ、テレビが生み出さないということは、ネットとか、新しい何かでそういう人が出てくる筈だから、それはそれで楽しみなんだけど。


と、最後締まりがないですが、思わず感傷的になるほど、僕らに卑近なテレビバラエティ史が全て書かれた、素晴らしい本なのです。
現代史か現社の授業あたりで、読ませたい、これ。


おしまい。