2017年8月28日月曜日

【書評】『声をかける』高石宏輔:繰り返す「人との交われなさ」



この本は、ナンパを通してフィールドワークした本だ。
もっというと、ナンパを通して人との交われなさをフィールドワークした本だ。

だから、読んでもナンパ出来るようにはならないし、楽しい気分にもならないし、むしろイラついた気持ちとザラついた気持ちが少しずつ残る。


前作の良さと装画に惹かれて、400ページ、一気に読み終えてしまって、ザラつきやらなにやらが残ってしまって、誰かと共有したいけど誰に勧めたらいいかが分からない。

女の子に読ませても、ナンパ師に読ませても、非リア充男子に読ませても多分ちょっと嫌だなって思われそうな気がする。
リア充男子はそもそもこんなの読まない。

本の中で、著者はナンパを始める。
最初はクラブに来るのも初めてで、声のかけ方も分からなくてもどかしい。
それがある時、成功する。別の日に会って、お酒を飲んで、SEXして、付き合ったような関係になるけど結果、2人は交わらない。

その後もいろんな人に声を掛け続ける。
成功したりしなかったり、SEXしたりしなかったり、付き合ったり付き合わなかったりするけど結果、交わらない。

著者は半ば意識的に、相手だけでなく自分の心も観察対象にしている。
そしてどこかで、全て客観視している節がある。

だから、相応に長い付き合いになっても、相手の感情の深い部分を垣間見たとしても、お互いの心や、生き方が交わる前に覚めてしまう。
そしてまた、同じ結末になるとわかっていながら、次のフィールドワークに出掛けてしまう。

そんな中、「あー、この光景は生涯忘れないだろうな」みたいな、瞬間風速Maxの瞬間だけがいくつか通り過ぎていくのが切ない。

無理やり例えを考えてみると、
オールで遊んで、みんな別れて、酒も目もなんだか覚めてきて、ふっと「一人だな」って思ったりするような瞬間に似てる気がする。

それできっと、そもそもこの例えみたいな気分にならない人は読んでも「え、それで何?」みたいな感じになると思うし、そういう気分になる人は自分自身の女々しさだったり、煮え切らなさだったりが本書から垣間見える瞬間にイラついたりして心がザワつく。
そしてこの本は、構成、文章もまたザワつく。
小説にも、社会学の本にもなりきっていない。
文学に成り切ったなら私小説、
感情を殺し切ったなら宮台真司の社会学、
フィールドワークに徹し切ったなら岸政彦の社会学、そのどれにもなってないような本なのだ。
小説的なストーリー展開ではあるがどこか記録的だし、研究心はあるようだけどどこか卑俗的だ。

自分がなんでこんなにハマったのかを考えながらどういう本なのか書いたけど、
全然褒めどころも薦めどころも出せなかった。

「じゃあオススメじゃないんかい!」と言われてしまいそうだけど、いや、そうじゃなくて、

一言で語れないところに宙吊りされていて、男が読んでも、きっと女が読んでもザラザラしてしまう部分を残してしまう本というのが、他に類書が思い当たらず、この本の無二な部分なのだ。
だからこの本を読みたいときは、他のどれもダメで、この本でなくてはいけないのだ。

と、言い切ったところで再読してザラつこう。


おしまい。

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