2017年3月13日月曜日

【書評】チョ・セヒ/斎藤真理子訳『こびとが打ち上げた小さなボール』:言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、リトル・ピープル。

韓国文学(朝鮮文学、とも言うようだが)を今回初めて読んだ。



今まで韓国文学の翻訳作品で、心を惹かれるものに出会った事なかったし、そもそも中国なのか韓国なのかとかも、大して気にしてもいなかった。
(し、名前が思い浮かぶ何人かは悉く中国人だった。)

さらに言うと、韓流ドラマにもハマってなければ、韓流アイドルも追い掛けてないし、新大久保にすら行った事が無い。もちろん鶯谷もだ。
(でも高校の修学旅行で韓国に一回行った)

そういう、韓国にはほとんど縁のない自分なんだけど、本屋でたまたま見た帯文をきっかけに、本書を手に取った。

『四半世紀に渡り130万部も読まれた韓国最大のロングセラー』
『20世紀韓国最大の問題作、遂に刊行!』
『この悲しみの物語が、いつか読まれなくなることを願う ー チョ・セヒ』

130万部⁉︎ 韓国の人口は5,000万人程度というので、日本でいうと300万部越えだ。
近年の小説の大ベストセラー、又吉の『火花』が240万部と言うと、どれ位読まれているかイメージつくだろうか。

そんなに沢山の人に読まれてるにも関わらず、「いつか読まれなくなることを願う」ってどういう事なんだろう、と気になった。

それに、著者も翻訳者も初めて聞く名前だけど、"河出書房130周年"って思いっ切り書いてて、そんな記念の年に河出で出そうと思うんだから面白いんだろうなと踏み、買ってみた。


で、読んでみたら、凄く良かった。
それも単に良い小説というだけではなくて、自分が知らない世界を知る事が出来た。
早くも、今年1位の小説になりそうな予感さえする。

舞台は、1970年代のソウル。

ただ、僕らが普段目にし耳にする韓国 ー業績を伸ばす韓国の財閥だとか、イケメン美女のアイドルだとか、甘ったるいメロドラマー だとかの話ではない。

訳者の言葉を借りるならば、"蹴散らされた人々"、つまり、発展し上述のようなものを生産・消費する高度消費社会になった韓国から取り残された、弱者の物語だ。
"弱者"、言われてみると当然だよな、と思う。
本書を読んで初めてその存在を認識したが、韓国内では大きな幾つかの財閥に、極端に富が集中しているのだから、それ以外に沢山の貧者が居るはずなのだ。

連作短編集である本書は、ある時は貧しい家族の父、ある時はその息子、ある時は財閥側の人物という形で、一編ごとに視点を変えて物語が綴られる。どれも独立した物語として読んでも面白い。
それもそのはずで、一つ一つの短編は、その発表時期も媒体も変え、1970年代の何年もかけて点々と世に出されたものなのだ。
そしてその理由は「短編で出す事で、出版差し止めになっても被害が最小限で済むから」という理由だ。一つの物語として頭の中では完結していたものをわざわざバラして書き、発表したのだ。

そういう危険がある程、この小説が描写した韓国の発展の裏側は、既得権益を持つものにとってはヤバいものだったのだ。

韓国は1970年代、軍事政権の中、資本主義的な成長を遂げていったが、この小説を読む限り、ものすごい労働集約的な生産体制だったようで、確かに人を人とも思わないような扱いをされている。

労働組合が作られ、争議が起きて「搾取するな!」というメッセージを工場の管理者に伝えるなどの描写があるが、実際、イギリスの産業革命時代の児童労働の話とか、『あゝ、野麦峠』とか『日本之下層社会』とかで見聞きしたのと瓜二つの労働環境で、思わず「あれ、いつの時代の話だっけ?」と時代背景を確認したくなる。
マルクスも1970年代にまさかここまでの搾取があると思わなかっただろう、という前時代的な酷い搾取が行われている。

著者はこの小説を書くために、実際、そういう貧困層達が暮らす地域に部屋を借りたり、住民が立ち退かされる瞬間を目撃したりしていたらしく、そのリアリティがまた凄い。

だから、"この悲しみの物語が、いつか読まれなくなることを願う"という言葉に繋がるのだ。

また、この小説のすごいところは、そういった貧困に対するリアリティを保ちつつも、文学的に昇華されているところだ。

主人公となる貧困家庭の父は"こびと"で、せむし男のサーカス団に入ろうとする。
"こびと"である父は、この小説の核となり各短編で描写される。
日本では堂々と書く事すら出来ず、村上春樹さえリトル・ピープルと表現したと云われる小人症の人物像を設定する事で、寓話的な話に仕立てたようだ。

この設定と、多視点からなる構成が合わさる事で、悲惨でリアルな告発の物語を読んでいるはずなのに、マジックリアリズム小説を読んでいる心持ちになる。
(ホントに。ガルシア=マルケス読んでる時に感
じるラテンアメリカの砂埃みたいなのを感じる) 


重く普遍的な題材、文学的な達成度、面白い物語構成、と三拍子揃った名作。
帯文の惹句たちは伊達じゃない。

これを出版に踏み切った河出書房、翻訳された斎藤さんにも頭が下がる思い。
だって1970年代に初版発行されたやつを今更翻訳して出すわけだからね。

最後の四方田犬彦さんの解説もまたいい。1970年代当時に韓国に在住していた四方田さんの回想。
これがまた叙情的で、読む際にイメージを湧かせる補助線として役立ちます。

いや、ホントにこれは名作です。読みましょう。



おしまい。

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