2017年3月9日木曜日

【書評】又吉直樹「劇場」:読後感は「火花」以上! 劇作家と恋人との日々。

先日発売された『新潮 2017年4月号』に掲載された又吉の新作を、早速読んだ。


一言で言うと、とても良かった。
良い小説を読んだ時の、余韻に浸るような読後感があって、2年前、文學界に掲載されてすぐ「火花」を読んだ時の事を思い出したし、2年前のより良かった。

「劇場」は、自分たちが立ち上げた劇団で脚本や演出などを手掛ける永田と、その恋人の沙希の物語だ。
「火花」と同様、夢を追う、何も持たない若者の心情とクローズドな関係を描いた話になっている。

個人的には今回の方が好き。
「火花」は師弟関係が最も緊密だったけれども、「劇場」は恋人との関係が最も緊密だ。
読んでいくと、沙希に対して自意識と劣等感がない交ぜのダメ男っぷりを発揮する永田の様子が胸に迫って、思わず目を逸らしたくなる。
(本読みながら目を逸らすってのも変な話だけど)

そういう所からどんどん感情移入していって、ページが進んで終盤だと分かってくると終わって欲しくないと思ったし、読後の余韻もひとしおだった。

主人公が劇団をやっているので、演劇の話や、どういうコンセプトでどういう脚本を書いた、みたいな話がかなり具体的に出てくる。
「あー、そういうの実際やってそー!」って思えるようなものもあって、その辺界隈を好きな人は結構ツボるかも知れない。

けれども演劇とかを知らないと読みづらいかというと(僕も最初そう思ったけど)、全然そんな事はない。
「火花」でもあった独特のテンポ感、笑えるところはやっぱりきちんとあって、ぐいぐい読んでいける。

個人的には、サッカーゲームで自分のチームメンバーに文豪の名前を付けている描写があって、そこがツボ。
"ロナウジーニョに森鴎外をマンマークさせて競り合う"とか、"敵が強くなってきたからここは控えの朔太郎を出すしかない"みたいな。
朝の京浜東北線でニヤニヤしてしまってお縄を頂戴しそうになったよ。


今回、又吉の2作目を読んで、「火花」も含めて、又吉の作家性、というか特徴ってなんだろうって、ちょっと考えた。

「火花」が物凄い売れ行きで、吉本芸人で元々の知名度が高いという理由も勿論あるけれど、やっぱり多くの人に読まれるようなリーダビリティだったり、共感を抱ける何かがあるから売れたんだよなと2作目を読んで感じた。

それは一体何かなぁ、他の作家と何が違うのかなぁ、っていう事で、2つ考えてみた。


◼︎太宰譲りの「道化」の感覚
まず、お笑い芸人であり、太宰の大ファンを公言している事もあって、その流れから受け継いでいる可笑しさ、テンポの良さというのが思い当たる。
太宰が小説とかで書くところの「道化」、坂口安吾でいう「ファルス」の感覚。

確かに太宰や、まれに安吾の小説を読むと感じる事のある可笑しさ、物語のテンポの良さに通じる感覚だと思う。

「劇場」でいうと、正直ちょっと、最初の数ページは滑り出しが悪くて、「少し冗長かな?」と思うところもあったけど、沙希と出会った位からはテンポが出来てきて、ぐいぐいと読み進めていけた。

「火花」の時はホントに漫才の描写だったから「漫才のテンポ感」みたいな事を言われていたし、何となくそう思ってたけど、違う。

全然今回漫才じゃないけど、同じ読み心地だし、
このぐーっと読めちゃう感じは漫才というよりも太宰的で、リーダビリティに繋がってるんだろうなと思う。太宰だと色々あるけど、『グッド・バイ』とか凄いじゃない。

あと「火花」と変わらずなのが、読み進めていく中で、どんどん絵が頭に浮かんでくる感覚だ。
「火花」は映画・ドラマと引っ張りだこだし、多分この「劇場」も映像化されるんだろうなぁと思う。

その時の沙希ちゃんは誰なんだろうなぁ、沙希ちゃん凄く良い子だから配役が気になる。


◼︎又吉にしか書き切れない舞台
そしてもう一つ考えたのは、小説の舞台、すなわち設定の話だ。
東京、それも吉祥寺とか、下北界隈とかで表現をやる人たち、夢を追う人たちや、それに憧れて上京してくる人たち。

サブカル界隈の栄養を吸ってる身としては、こういう場面って結構お腹いっぱいだと思ってたんだけど、「劇場」みたいな純文学の切り口で、夢追う人のど真ん中を描いたものって実はあまり無いと思った。

夢追うフェーズを終えたものだと山内マリコ『ここは退屈迎えにきて』とか、
痛々しさを揶揄してるのだと渋谷直角『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』とかあるんだけど、
「東京で夢追い&くすぶりど真ん中」的な空気感とかがあるやつって、ちょっと古いけど浅野いにお『素晴らしい世界』位しか浮かばない。

そもそも渋谷直角も浅野いにおも漫画だし。



だから恐らく、又吉みたいに夢追う渦中も経験していて書ける、かつ、(才能も知名度も合わせて)大勢の人に届けられる人が他にいないじゃないかなって思った。ほんとにその空気感を体験してきて、見てきて、書ける人って。
まぁ「俺が知らないってことは他に居ないんだ!」っていう結論の持って行き方なのは百も承知なんだけど。

ただ需要はかなりあったはずで、需要はあったんだけど、それに合った供給がされなかったから、又吉の小説は「待ってました!」とばかりに、その人達に支持され、共感されたのではないかと思う。(なんか、経済っぽいタームですいません。)

と、こんな具合に2作を通して、又吉の作家性、売れた理由を考えてみた。

さてさて、という「劇場」ですが、読みたい人、
『新潮 2017年4月号』は在庫切れの店が続々出てきてるようで、さっさと買った方がいいよ。

ちなみに僕は昨日、本屋5-6店行ったけど、どこも売切れで、最後に丸の内の丸善本店に行ったら平積みでまだあって、胸を撫で下ろして帰りました。都内の中小の本屋はほぼ無いっぽい。

Amazonも定価以上の中古品しかないし、新潮社が1万部増刷するみたいだけど、初回4万部が2日でこの状態(発売は3月7日)だから、増刷分もいつまで在庫が持つかは何とも言えないので。

長々と書いてしまいましたが、よって、3作目も僕は楽しみです。おしまい。

P.S. 又吉とは関係ないけど、同じ『新潮 2017年4月号』で面白かったのが、角田光代の書評と岸政彦のエッセー。
書評は『狂う人』という島尾ミホの評伝。
読み解き方、説明の仕方に惹きつけられて、元々『狂う人』は読みたいなと思っていたけど、絶対読もうと思った。「書評ってこうやって書くんだよ」って怒られてる気さえした。

エッセーは、岸政彦の小説について、どう執筆していったかという話。
日雇いで肉体労働していた、若かりし頃の話なんかも出ていて、好きな人には堪らない内容。

ほんとにおしまい。

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