2017年1月22日日曜日

【書評】山下澄人『しんせかい』:第156回芥川賞受賞作は、ふしぎに心に残った。

去る1月19日、恒例の芥川賞・直木賞の受賞者発表があり、第156回の芥川賞に山下澄人の『しんせかい』が選ばれた。



今回、4回目の候補入りで受賞だというが、恥ずかしながら僕は今回受賞で初めて知った。
毎回候補作をチェックし、受賞作をきちんと読むようにしたのは又吉のとき(第153回)という俄か者なので、前回候補になった第150回の時は全く知らなかったのだ。

しかも今回うっかり全くノーマークのままで、発表されてからLINEニュースで見たので、候補作が何だったかのチェックも後手になっていた。

去年引っ越して以来、近くに図書館が無くなってしまい、文芸雑誌をこまめにチェックし読まなくなったのが原因と自己分析。

折角の芥川賞予想の楽しみを持てなかったのは相当悔やまれるが、覆水盆に返らずということで今後は自覚的に情報取るべしと反省して気持ちを切り替え(無駄にマジメ)、
早速受賞作『しんせかい』を読み、他の候補作もチェックした。(候補作は未読)


まずは『しんせかい』の書評。

この小説は、劇団を主宰し、役者をしている(むしろ小説よりそっちのがずっと本業でやってる)著者が、
若い頃、脚本家倉本聰が主宰する『富良野塾』の二期生として、富良野で集団生活をしていた日々を下敷きに書いている。巷間に言うところの「青春群像小説」との事だ。(選者の吉田修一もそんな事言っている)

個人的にはこの括りは良くわかんないんだけど、多分「若者たちが主人公のキラキラした感じを描いてるやつ」なんだと思う、まぁ、若い=キラキラなので実際に必要なのはその空気感をどう表現できているか、なのだと思うんだが。

で、そういう意味だとこれは確かに当てはまるのかなと思う。が、一筋縄ではいかないというか、そういうつもりで読んでいって、最後グサッと刺される。

それがすごい決め手になって心に残った、文章がじわじわよくて、印象に残りはじめてたところでやられた。
まぁ、あまり言うと読んだ時に面白くないので、この辺でボヤかしとく。

小説は、主人公のスミトが【谷】と呼ばれる脚本家主宰の俳優・脚本家養成学校に向かう所から始まる。
地元から出て、養成学校に向かう舟の中からカットが始まり"天"と呼ばれる友達以上、恋人未満の何とも言えない関係の女の子との別れの回想がある。

【谷】に到着し、【谷】での日々が淡々と描写される。その合い間に、"天"との文通が幾つかされる。

あらすじはこうだ。

特異な環境ではあるので、何かあると言えば日々何かあるのだが、何も起きないと言えば何も起きない。
そもそもスミトは俳優を本気で目指して来ている訳ではなくて、だから夢に続くプロセスにいるという意識もない。そういう状態で、宙ぶらりんだ。

その、宙ぶらりんな感覚と、何も起きないんだけれども、気が付いたら十分過ぎるほど何か起きているような日々。それが淡々と綴られる。

小説、というか少しブログに近いようなつらつらと書かれた文章だ。何というか、芥川賞っぽくない文章。
ただこの文章で書かれる日々が、じわじわ残る。

読後感としては、ここ何回かの芥川賞で1番残った。
文体は全然違うけど、同じ芥川賞だとモブノリオの『介護入門』に近しい感じがした。

溢れ落ちるような生々しい何かが、最後に澱のように残る感覚だった。


あとは今更ながら候補作をチェックしての感想。
山下澄人『しんせかい』
加藤秀行『キャピタル』
岸政彦『ビニール傘』
古川真人『縫わんばならん』 
宮内悠介『カブールの園』
の5作が今回候補作だったようだ(加藤秀行は未刊行、3月刊行予定らしい)。


岸政彦が入ってんのか!で驚いた。
この人は最近話題の社会学者で、僕も好きで 2015年ベストにも選んだ。

この人の場合、ルポが十分小説的なので、小説書いても何もおかしくない。
今後も書き続けたら何回か目の候補で受賞すると思う。

何となく見た感じでしかないけど、宮内悠介とかそろそろ取りそうだけどなーと思ってたら、実際、山下澄人と一騎打ちになってたみたい。

ちなみに宮内悠介は『ヨハネスブルクの天使たち』がおすすめ。近未来SFで、伊藤計劃が亡くなった後、ポスト伊藤計劃は誰?って話題の中に出た本だ。



おしまい。

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